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Diaryとcolumnに関するwebmarksjpのブックマーク (3)

  • ダンカン。

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  • こんな不思議なことがあるんだ・・・・・ - My Life Between Silicon Valley and Japan

    から帰国する飛行機の中で読んだ「将棋世界」2月号は充実の内容であった(片上五段のブログによると3月号も充実とのこと、楽しみ)。 しかし驚いたのが、55歳という若さで先ごろ逝去された真部八段(逝去後に贈九段)の絶局を巡る不思議な物語である。 この「将棋世界」2月号は、真部追悼特集になっており、多くの棋士が亡き真部を惜しみ、良い文章を寄せているが、いくつかの文章の内容を紐解いていくと、じつに不思議な物語が浮かびあがってくるのだ。 棋譜をあえて使わずに、この不思議な物語を追いかけてみたい。 話は、絶局となった昨年10月30日のC級2組順位戦に遡る。真部は最年少棋士の豊島四段(1990年生まれ)と対戦。午前11時58分。わずか33手。まだ戦いが始まる前に投了してしまった。あまりに体調が悪かったため、自分の手番で負けを宣言したのである。そして真部はそのまま入院し、11月24日、還らぬ人となった。

    こんな不思議なことがあるんだ・・・・・ - My Life Between Silicon Valley and Japan
  • ネットの記録を都合の良いように操作する人をみて - 北の大地から送る物欲日記

    ネットにおけるやりとりは、自分の発言がそこに残るという点で、現実で面と向かい合って話し合うのとは違う。 発言が残るというのは、後から読み直すことができるということ。現実の会話では、さりげなく流されてしまうようなことが、発言が残ることで後から問題になったりすることもある。 自分が書いたことを残すかどうか ネット上に書いた発言は、後から修正したり削除したりすることもできる。単なる誤字などを修正する分には何の問題もないのだが、誰かとやりとりしているときにその内容を修正したり、削除したりするのはどうだろう? ネットに文章を書き始めた頃は、後から修正するのは書いた自分の自由だと思っていた。確かに自分の文章単独で存在しているのならそうなんだけれども、誰かとやりとりした場合にはその内容を自分の都合のよいように修正・削除してしまうのはアンフェアな行為だと思うようになった。 後から、ネットに書かれたやりとり

    ネットの記録を都合の良いように操作する人をみて - 北の大地から送る物欲日記
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