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Lifeとコメントに関するwebmarksjpのブックマーク (5)

  • 老いの手柄 - 内田樹の研究室

    Happy birthday to me〜 57回目の誕生日である。 まさか自分が57回目の誕生日に Happy birthday to me〜というような気の抜けた「行き場のないギャグ」を口にする老人になろうとは少年の頃には思いもしなかった。 人生というのは予断を許さぬものである。 私は16歳の頃に自分が57歳の時にどんなことを考えている人間になるのか想像もつかなかった。 想像がつかなかったのは、「57歳というのは、すごい大人だ」と思っていたからである。 16歳はガキであるから、ガキの想像力をもってしては57歳の爺の頭の中に渦巻く妄念や諦観や洞見についてはそれを忖度することはできるはずがないと思っていたのである。 そこらへんの考えの浅さがやはり16歳のガキである。 なんのことはない。 40年経っても、「がわ」が爺になっただけで、16歳の私はそのまま手つかずで残っているのである。 そういう

  • 学歴なんて本当の本当にいらないんだよ - 遥か彼方の彼方から

    戯言「学歴なんて当の当にいらないんだよ」なんてことを後で言えるためにも、低ランク大学在籍ながらも頑張ろうと思ってます。学校でも僕は真面目なタイプじゃないし、活動的でもない。それでも、ブログやサイト運営*1、プログラミングや同人サークルの活動を通して高いところに登って、学歴がなくても大丈夫だよと言ってみたい。 何だかんだでほら、学歴いらないって人は高学歴じゃないですか。学歴がなくても頭がいい。あるいは強運の持ち主だったり、センスがよかったりする。 その点僕は、そのどれにも属しません。僕にしては多すぎる読者数*2のこのブログも、最初は酷かった。日記ブログの足下にも及ばないような内容です。プログラマーの才能だってない。同じ情報科の人に「プログラム出来る」みたいな目で見られてますけど、そんなの昼休みと放課後に組んで、家でもそういうや記事を読んで、ようやく初心者の一歩手前です。 運もなければ地

  • また君か。@d.hatena - 「趣味は人間観察です」問題

    ところで成句「趣味は人間観察です」は、いろんな経緯があってのことだが、発声即ち「自分は自意識過剰の痛いひとです」という主張を意味するので、取り扱いが簡単でない。ようするに、 観察する側の人間である=行動する側の人間ではない=場の主流派に所属していない、まして集団の主導的立場に立つ機会などほとんどない人間である、と言っているのに等しい(もちろん個別の例外はあるが、それは後々カスタマイズしていけばよいだけのことで、データベース型の第三世代人間関係インデックス能でマッピングする際は、初期位置をそこにセットするのが自然だ)。コミュニケーション至上主義勢の用語で一言でいえば「さびしいひと」。 なぜここで「まして集団の主導的立場に立つ機会などほとんどない」とまで断定できるのかといえば、それができるひとの大概はそれなりの人間観察能力を持ちつつもそれをあくまで手段として使っているから。趣味的な観察はあくま

    また君か。@d.hatena - 「趣味は人間観察です」問題
  • 亀田家の次男を批判してもしょうがない気がする。 : ひろゆき@オープンSNS

    【教えてくん】コミュニティーなのです。 なんかニュースとかあったらここに書こうかと思ってますよ。とりあえず、おいらのブログ 亀田家の次男を批判してもしょうがない気がする。 : ひろゆき@オープンSNS ひろゆき@オープンSNS (ひろゆき@オープンSNS) 投稿者, @ 2007-10-13 19:18:00 亀田家の次男を批判してもしょうがない気がする。 亀田家のボクシングの試合を先日はじめてみました。 とは言っても、久しぶりに人狼とかやっていたりして、 終わりの3ラウンドぐらいしか見てないんですけどね。。 んで、見ていた感想としては、 ガード固めまくったとしても、 世界チャンピオン相手に12R立ってたというだけでも、 それなりに実力はあると思った次第です。 世界チャンピオンと争うほどの実力はまだないと思いますけど、 あれだけの大舞台で一度も倒れないだけの体力はそれなりに評価してもいいん

  • 何かに依存するくらいなら、自殺します - やや最果てのブログ

    という発想が自分の中に根強くあって、これが多分全ての元凶になっている。 僕は人を信じることができません。 全ての胸の内を明かせる他人なんてものがいません。 これは、周囲の皆さんに問題がある訳ではなく、僕が純粋に他者を信用できないというだけの問題なので、決して気には留めないで欲しいのですが、人を信じることができないというのも、多分心のどこかで僕が、物に依存することを拒否しているからなのではないかと思います。 でも、この生き方にも問題があって。 人って結構、何かに縋らずには生きていけないぐらいの強さしかないみたいです。 それを補っているのが、宗教、または信仰なんだと思います。別に対象が宗教団体でなくても、愛、友情、ファッション、流行、スイーツ(笑)でも構いません。 楽しさ、素晴らしさ。そういう価値観。 何かに寄り添って生きていけないというのは、辛いことです。多分僕が生きているのが苦しいのは、色

    何かに依存するくらいなら、自殺します - やや最果てのブログ
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