タグ

communicationと表現に関するwebmarksjpのブックマーク (3)

  • 「単なる」「私的な」「個人的見解」と修飾語を連ねても、批判は免れない - good2nd

    id:buyobuyo さんのとこでの id:E-You さんのコメント。題とは違う話なんですけど。 私とあなたの意見が合わないからといって、批判される筋合いはありません。 だって、あくまで私的な意見だもの。 もしそれがあなたを傷つけたのなら謝るけど、批判? いったい何様ですか? 批判は意見が合わないからこそするものです。 意見が合わなければ、それだけで批判するのに十分な理由になります。 私的だろうと何だろうと、あらゆる意見は批判に晒されるべきです。 しかし、短絡的な批判は時として誹謗や嘲笑になりさがるので、慎重さが必要とされるのは言うまでもありません。 「意見の相違に基づく批判」は、傷ついた傷つかないという「気分」の問題に劣るものではありません。 批判は、その内容が重要なのであって、批判すること自体には何の資格も必要ないはずです。 嫌ならスルーすればいいと思うよ(僕みたいに) あらゆる

    「単なる」「私的な」「個人的見解」と修飾語を連ねても、批判は免れない - good2nd
  • 表現するという不幸 - 煩悩是道場

    WebArt ウエブという空間は、表現者を見る事なく表現そのものしか見る事が出来ないが故、コンフリクトという名の不幸が発生する。個人的にはある個人史の終焉にも「「子供が産まれて感動した」「おめでとう!」…がどんだけの男女を無気力にさせているか少しは考えろ」にも読んだがブックマークをしない、という事で自らの態度を消極的に示していた。そうするべきだ、と思っていたからだ。 けどやっぱ他人攻撃しちゃダメだよ。自分が理不尽な目にあったからって他人まで理不尽な目にあわせるこたーない。程度の釣り合いじゃなくてね。狐の王国 「非モテ」「童貞」がどんだけの男女を無気力にさせてるか少しは考えろエントリを起こした時点で負けというか、負けという意味では私も同じなのだけれども何故スルーしなかったんだろうと思ってしまう。あなたの「正義」が誰かを傷付ける可能性は考えなかったのだろうか、と。今回の一件は、まさに「表現同士

  • わかりやすさは、ただの表現技術の問題ではないのだ。

    (『ダ・カーポ』(2002 年 4 月, ダ・カーポ)p.21) 山形浩生 いま、日はいろんなところで閉塞感がただよっている。それは各種の領域で、人々が自分のことば世界に閉じこもっているのも一因だ。官僚は官僚語だけで話し、そこから出てこようとしない。外交コミュニケーションの下手さ加減は言うべきにも非ず。オープンなはずの学問の世界まで、変な学閥と権益でタコツボの巣窟だ。それじゃあダメだ。これはすべて、極端な話、わかりやすい説明ができないことからきている。同じことばで、同じ中身が何百回も繰り返されるだけで、それがだんだん腐り、あるいは縮小均衡に陥る――もういたるところで見られる現象だ。もうちょっと各領域に、自分のなわばり外に対してわかりやすい説明のできる人がいれば、これはだいぶ変わるだろう。そう思わないだろうか。そこからもっと何か新しい芽も出てくるだろう。 わかりやすい説明なんて簡単だ。単に

  • 1