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disabilityとlifeに関するwebmarksjpのブックマーク (2)

  • 他人を言い訳にして自分の行動を正当化してはいけない - 聴く耳を持たない(片方しか)

    http://blog.goo.ne.jp/funamushi2/e/58d690dcf02e90a53f5a15310a81f6c2 に関連して 当に人の痛みの解る人間は、自分の幸せを語る前にまず、この幸せを得られない人が、自分のこの幸せを知った時どのように感じるか… と少しは考えてから言葉を発するんだよ。 http://blog.goo.ne.jp/funamushi2/e/58d690dcf02e90a53f5a15310a81f6c2 申し訳ないが、私は人の痛みが当に解るほど、できた人間じゃないので、他人がどうこうはさておき、自分のことを書く。 ちょっと長いけれど、自分語り。 私は、先天性の耳介形成不良である「小耳症」という障害を持って生まれてきた。 見ての通り、右耳が「小耳症」という病名の文字のまま変な形の小さい耳で、さらに耳の穴が塞がっているため(外耳道閉鎖症)右耳の聴力は

    他人を言い訳にして自分の行動を正当化してはいけない - 聴く耳を持たない(片方しか)
  • Passion For The Future: 視界良好―先天性全盲の私が生活している世界

    視界良好―先天性全盲の私が生活している世界 スポンサード リンク ・視界良好―先天性全盲の私が生活している世界 先天性全盲である著者が、聴覚、触覚、嗅覚をフル稼働させて、どのように世界を認識しているかを書いた。この表現が適切かどうかわからないのだが、”目から鱗が落ちる”記述の連続である。そして面白い。 生まれてから世界を一度も見たことがない著者にとって、見えないということは何かが欠落しているということではない。視覚ナシで全方位の世界認識を確立しているわけであり、その視界は常に良好なのである。 著者の日常生活の記述は、視覚アリの人にとっては、非日常であり、驚きと気づきの連続である。たとえば「目が見える人が絵を描くとき、目で捉えられないものは描かないという話は私にとって大きな衝撃でした」という一文から、世界認識の大きな違いが見えてくる。 このは、日々の生活や幼少時代を振り返った短いエッセイ

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