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戦争に関するwhite_skinのブックマーク (1)

  • 一番恐ろしいのは機銃掃射

    私は昭和16年(1941)4月、いまの墨田区にあった東京府立第七中学校に13歳で入学しました。その年の12月8日に日アメリカに対して宣戦を布告し、4年後の昭和20年(1945)8月15日に敗戦となったのは、皆さんもご承知のとおりです。   その頃の私は、戦況にはあまり関心のない、毎日の身の回りの出来事だけに埋没しているごく平凡な中学生でした。開戦後半年もすると、戦況がどんどん悪化し始め、それと共に現実の生活にも変化が現れてきました。「贅沢は敵だ」とか「パーマネント廃止」などというポスターが町に氾濫し、必需物資はつぎつぎに配給制に変っていきました。学校でも通学時はカーキー色の制服に戦闘帽、それにゲートル巻きという戦時スタイルに変ったのはいいのですが、家が学校から4キロ以内の者は徒歩通学に決ったのには困りました。教室でも常に前から数えて2・3番目にいた小柄な私にとって、朝夕の4キロの道のり

    white_skin
    white_skin 2009/09/16
    戦時中の体験談
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