「例えば、いくら『好き』だと言っていたって、その人がホントにそう思ってるかなんてわからない。微笑みのしたでは君への憎悪が渦巻いているかもしれない。人が“本当は”何を考えてるかなんて、誰にもわからないんだよ。だから僕らはその人が何を思っているかじゃなくて、どのように振舞うかを見るしかない。 それでも、“本当は”どう思っているのか知りたい、“本当に”愛されていると信じたいというなら、それはもう信仰の領域だ。祈りみたいなものだね。まあせいぜい頑張るんだな」 って誰かが言ってた。
とか、秋空を見て思う。なんであんなに暇があって、暇が苦しかったのだろうか。 なんもすることがなくて、じっとしていられない、そういうのも若さだったのか。 そういえば、携帯電話なんてないし、テレビは昔もそうだけど、それほど若者文化でもなかった、というか、深夜ラジオを聞いていたか。 ラジオにはがきを書くとかね。私はファンレターを書いたことはないけど、中学生の時、詩を送ったら、放送されたことがある。その放送のときは風邪で寝て、ある女の子から、あれあなたの詩?と言われた。思い出すと、その子は、中学で一番の美人だった。私はこの手の美人に関心ない。が、この年こいて思い出すと、その子は私になんか一目を置くというのではないけど、ちょっと変わった接しかたしていたかな。まあ、でも私が関心ないのだものな。 おばかな話にずっこけたが。 よく神保町で一日潰した。古書店も面白かった。 秋葉原でも一日潰した。そして神保町
女「ねえ、私のこと、好き?」 男「そんなこと聞いてどうするんだい?もし、僕が君の事を好きなら、当然僕の答えはYesだ。じゃあそうじゃなかったら?この場の雰囲気を壊したくない僕は、やっぱりYesって答えるだろう。どっちにしても君が得られる答えはYes、そして僕が本当はどう思っているかなんて、君には絶対にわからない。 それでも、質問する意味はあると思う?」
長らくご無沙汰しておりました「三十歳から四十五歳を無自覚に過ごすな」。梅田望夫さんの著書「ウェブ時代をゆく」で下記の文章に大変感銘を受けたことをきっかけにスタートしております。 「三十歳から四十五歳」という難しくも大切な時期を、キャリアに自覚的に過ごすことが重要である。(P194) だとしたら、具体的にどうすれば自覚的に過ごすことができるのかと考えている中で出会ったのが、梅田望夫さん提言の「ロールモデル思考法」であります。 「好きなこと」「向いたこと」は何か漠然と自分に向けて問い続けてもすぐに煮詰まってしまう。頭の中のもやもやは容易に晴れない。「ロールモデル思考法」とは、その答えを外界に求める。直感を信じることから始まる。外界の膨大な情報に身をさらし、直感で「ロールモデル(お手本)」を選び続ける。たった一人の人物をロールモデルとして選び盲信するのではなく、「ある人の生き方のある部分」「ある
2024年03月13日15:54 【朗報】ジャンプラで今最も面白い漫画、ついに決まる!! 1 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:24/03/12(火) 21:43:46 ID:njGY エクソシストを堕とせないです 2 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:24/03/12(火) 21:44:12 ID:bMkq は? 3 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:24/03/12(火) 21:44:18 ID:KNBf バンオウ 5 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:24/03/12(火) 21:44:40 ID:fv5t 正反対の君と僕、な (省略されました・・全てを読むにはここを押してください) 漫画 コメント( 13 ) Tweet 2024年03月13日14:34 能登半島マジでもう厳しいかも 水道管破裂が東日本大震災の7倍 1 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日
(1) 時代観――無限の選択肢のある時代 僕が大学を出たのは今から25年前の1983年です。1983年に大学を卒業する人と、2008年に大学を卒業する人とでは、全く違う人生が広がります。おそらく、さらに25年後に大学を卒業する、みなさんの息子や娘の世代も、まったく違う環境のなかに生きることになります。みなさんは、だいたい二十代、つまり1977年生まれから87年生まれくらいだと思いますが、そのくらいの時期に生まれたということが、人生を大きく規定しています。そのときに使えるリソース、その時点で可能になっていることがある。1960年生まれの僕とは全く違う可能性をみなさんはもっています。それがまず第一にうらやましい。なぜならば、圧倒的に自由度が大きいから。1980年代の前半というのは、それほどカジュアルに海外に行くという時代ではなかったし、日本はもっと貧しかったし、海外に留学する敷居の高さも、今と
過去2回のエントリーでNich Carrの“Is Google Making Us Stupid?”を取り上げたが、私なりの考えも混ぜながら要点をまとめ直すと下記のような感じになる。 モノを読み、考えるという行為・能力は後天的に形作られるものであり、神経学・生物学的レベルで脳の有り様に影響を及ぼす 発明以来、紙や活版印刷のような技術は、人間の読み、考えるという行為・能力に影響を及ぼし続けてきてきたが、インターネットという新しい技術も同等、もしくはそれ以上の変化を我々の行為・能力に与える 具体的には、インターネットのもたらす情報の大洪水、そしてメディアや技術による情報洪水の区画整理というものは、特定の情報を深く読み込み、それに対して深く思索をめぐらすという我々の能力を退化させる 情報の大洪水、メディア・技術に対して受動的であると、サマリーされた情報だけを拾い読みするだけになり、アンテナは広い
退学しよう。 九ヶ月ほど前に決意して将来を見極めようとした試みに対する回答が出たのは2008年の4月だった。 現在修士一年。この研究室に所属して一年が過ぎた。 この研究室を選んだのは、自分の価値観とは全く違う所に身を置いてみたかったからだ。僕に足りないもの*1が補えると思った研究室がここだった。他にめぼしい研究室がなかったため、消去法で選んだ側面もある。組織というものは叩けばいくらでもほこりが出るらしい。 そもそも研究室を選ぶこと自体、ほとんど詐欺のような契約だ。数回教授に話を聞きに行ったり、研究内容を背伸びして下調べしても学部生の知識ではよくわからない。よくわからないまま、研究室を決めてしまう。 そして、研究室に入って右も左も分からないのに、数ヶ月たったら、「あと二年残るかどうか」を決めさされる。数ヶ月前の選択を覆すだけの情報なんてまだ持っていないし、内薦の話なんかが出てくると、わざわざ
最初、id:shi3z の 天才コンプレックスが出てきたとき、「ああ、世の中には、似たことを考えているひとがいるものだな」と思いつつも、自分のあまりにも深い痛点に触れるために、全力でスルーしようとした。しかし、今日、NBOnline の コンプレックスこそ我が友をいう記事を目にするに至って、どうにも何かを書かずにはいられなくなった。id:shi3z が言うとおりに、こういう個人的なことは、胸にそっとしまっておくべきなのかもしれないが、しかし、やはり彼がそうしたように、不特定多数に対して、叫ばなければどうにも自分自身が救われないということはあるのかもしれない。そう思って、はてなダイアリーに書く。私を知らない人にとっては何の価値もないつまらない雑文であるので、興味のない方は、ここで引き返してもっと有益なページを閲覧されたい。 私は、小学校に上がるまえに、虚数 i の概念を理解してしまった id
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