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ウィルタに関するwikisurfingのブックマーク (2)

  • 北川ゴルゴロ - Wikipedia

    北川ゴルゴロ(きたがわゴルゴロ、日語名:北川五郎、ウィルタ語名;Daxinnieni Gorgolo(ダーヒンニェニ・ゴルグル)、1899年(明治32年)頃 - 1978年(昭和53年)6月26日[1])は、日におけるウィルタ(オロッコ)民族最後のシャーマン、文化伝承者[2]。 生涯[編集] 樺太のルクタマに生まれ[3]、狩猟・遊牧を営んでいた。日露戦争後の南樺太の日領化に伴い、ウィルタは保護区に定着させられる[1][3]。1920年代後半以降は、少数民族の居留地であった敷香町の「オタスの杜」でウィルタ族の総代をつとめた[2][注釈 1]。 第二次世界大戦後、1958年(昭和33年)に北海道網走市へと移住[1][3][2]。移住後は、ウィルタ語や民族文化の紹介や保存・継承に尽力した[2]。 ウィルタ文化継承の功績が認められ、1975年(昭和50年)、北海道文化財保護功労者として表彰さ

  • ダーヒンニェニ・ゲンダーヌ - Wikipedia

    ダーヒンニェニ・ゲンダーヌ(日名:北川源太郎、ウィルタ語名:Dahinien Gendanu / Daxinnieni Geldanu, 1926年頃 - 1984年7月8日)は、樺太生まれのウィルタ(オロッコ)民族研究家・運動家である。ウィルタ民族。 第二次世界大戦中は特務機関員として日軍に協力した。終戦後はシベリアにて抑留され、帰国後は北海道網走市に移住して肉体労働で生計をつないだ。自民族の研究家として活動し、戦後ウィルタ運動のリーダーとして北方少数民族の復権運動に尽力した。その後彼の呼びかけにより網走に作られたウィルタ文化資料館「ジャッカ・ドフニ」の初代館長となった。ダーヒンニェニ・ゲンダーヌという名前は「北の川のほとりに住む者」を意味する。 経歴[編集] ゲンダーヌの生まれ育ったオタスの杜(敷香町) ウィルタの呪者の家系に生まれ長老であった義父北川ゴルゴロと同様に遊牧と狩猟で生

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