冨永 恭次(富永 恭次、とみなが きょうじ、1892年(明治25年)1月2日 - 1960年(昭和35年)1月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 経歴[編集] 尉官・佐官時代[編集] 1892年、医師・富永吉太郎の二男として長崎県で生まれた。熊本陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1913年(大正2年)5月、陸軍士官学校(25期)を卒業した。後年、冨永、武藤章、田中新一の3名が「陸士25期の三羽烏」と呼ばれたが[1]、これは満州事変以降は準戦時となり、積極的な性格の者が注目されるようになったためでもあった[2]。 同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第23連隊付となった。陸軍経理学校生徒隊付などを経て、1923年(大正12年)11月、陸軍大学校(35期)を卒業。同年12月、歩兵第23連隊中隊長に就任。翌1924年(大正13年)12月には参謀本部付、さらに翌1925年(大正14年