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哲学に関するwsswsのブックマーク (7)

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  • 今度こそは→難解な哲学書を読めるようにする16の新書

    文章を読むときのアタマの情報処理は、大きく分けると次の2つがある。 文章から情報を組み上げる(文章→アタマ)処理と、頭の中の情報をの情報と結びつける(アタマ→文章)処理だ。 すぐにわかるように、自分の中に、そのの内容と結びつけるものが少ないと、文章から情報を組み上げる(文章→アタマ)処理が優勢となる。 実は、文章から情報を組み上げる(文章→アタマ)処理だけの読書はつまずきやすい。 頼りになるのが文章から来る情報だけになるから、単語や語句に、文や段落のつながりに、文章のテーマや取り上げられるトピックに、そのどこかに分からないところがあると、途端に理解に支障が出るからだ。 逆に、自分のアタマから文章へ向かう情報が豊富だと、文章から来る情報に不明な点があっても、何とか進むことができる。 このことは、特に難しいや外国語のを読むときには、心にとめておいた方が良い。 アタリマエのことだけれど、

    今度こそは→難解な哲学書を読めるようにする16の新書
  • 哲学やってると思っている奴 - 本読みのスキャット!

    18 :考える名無しさん:2010/11/18(木) 23:40:16 0 ID:? 哲学やってると思っている奴って、下のようなのが多い気がする。 (1)答えを出さない事が哲学的で、単に難しく考えたり、そもそも考える力や答えを出す力がなかったり、 でもそうやって哲学的っぽい態度を取り続ける限り、自分は哲学という権威を後ろ盾に持てて、 それがかっこいいとか思ったり、単に社会適応能力がない事の逃げ口に使ったりしている。 (2)1つの方向性から見た妥当な正解があったとしても、 それが理解できないか、あるいはそれに単に反抗したいが為に別の方向性から見たくなり、 それが増え続けて、無駄に複数の立場から1つの事をあーだこーだ言ってて、 他の方向性を批判するが、自分の立場が弱くなると、人それぞれの見方があってそれが哲学でしょう。と言い出す。 (3)自分が自然に哲学的テーマに辿り着いたわけではなく、哲学的

    哲学やってると思っている奴 - 本読みのスキャット!
  • 「救命艇問題」 - shinichiroinaba's blog

    その昔書いたメモ。何かがまだ欠けている。たとえば「単なる遭難者にとっての、遭難者同輩を助ける義務と、救助隊員にとっての遭難者救出義務、そして為政者の義務」の比較検討とか。 来登山とか危険なアウトドアスポーツに詳しくない人間の論じるべきことではない。 ======= 救助隊員のあなたが、沈没事故の連絡を受けて現場に急行したとしよう。ところが、救助隊員のあなたが乗っている船には一人分の余裕しかないのに、現場では二人の人間が溺れていたとしよう。(中略) いつも不思議なのは、人間の生死は最も重大な問題であるはずなのに、最も算術的に処理しやすい問題になってしまうということである。二人を救助する方が一人を救助するよりも正しいということには、2が1より大きいということ以外に根拠はない。二人を救助できない場合には一人を選択して救助するのが正しいということには、マイナス2よりマイナス1が大きいということ、

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    wssws 2010/12/21
  • 平岡公彦氏・finalvent氏・とつげき東北氏のニーチェ解釈――永井均「これがニーチェだ」がすごい - 誰が得するんだよこの書評

    平岡公彦氏に紹介された永井均「これがニーチェだ」をようやく読みました。僕の感覚からすると非常にわかりやすかったです。紹介していただいてどうもありがとうございます。僕がどうしても理解できなかったのは「どうしてニーチェは健全だとか健康だとかにこだわっているんだろう?」ということでした。だから「健全さ」すらも相対化してありとあらゆる価値基準にとらわれることなく好き勝手に生きればいいという主旨のことを述べました。しかし、むしろニーチェの思想は「何が健全か」よりも「何が醜悪か」で考えた方がわかりやすいように思います。というわけで、永井均の解釈に沿って「何が醜悪か」について整理します。 1.第一の醜悪なもの――弱いもの・劣悪なもの 「優れた能力」というものについて考えてみましょう。 たとえば、「速く走れること」は、「速く走れないこと」よりも明らかに「よいこと」です。こうした価値観に対して、速く走ること

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    wssws 2010/10/20
  • SYNODOS JOURNAL : 「消極的義務」の倫理 ――「トロッコ問題」の哲学者フィリパ・フットとその影響 小山エミ

    2010/10/197:0 「消極的義務」の倫理 ――「トロッコ問題」の哲学者フィリパ・フットとその影響 小山エミ ◇「トローリー(トロッコ)問題」という思考実験◇ 今月三日、イギリス出身の倫理哲学者フィリパ・ルース・フットが九〇歳で亡くなった。あるとき「女性の哲学者はどうして少ないのか」というシンポジウムに参加してみたら、発表者が全員男性哲学者だった、というような冗談みたいな男性優位社会でもある哲学界において、二十世紀中盤におけるアリストテレス的な徳倫理の復権に大きく貢献した哲学者の一人であり、前世紀を代表する女性哲学者の一人として記憶されることになるだろう。 「あなたは路面電車の運転手で、時速六〇マイル(約九六キロメートル)で疾走している。前方を見ると、五人の作業員が工具を手に線路上に立っている。電車を止めようとするのだが、できない。ブレーキがきかないのだ。頭が真っ白になる。五人の作業

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    wssws 2010/10/19
  • 難しい理論を分かりやすく教えてもらうスレ 文系編 : はれぞう

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