同号収録の武井協三「江戸薩摩藩邸における唐躍りの上演」、紙屋敦之「寛政八年琉球使節の江戸上りについて」、板谷徹「唐躍台本『琉球劇文和解』」で学ぶ。三氏への感謝の念をまず。以下はその内容の、私の興味と観点からする咀嚼である。 琉球の演劇には、日本の歌舞伎を手本に琉球で作られた琉球語で演じられる組踊(くみおどり)のほかに、中国の話劇がそのまま中国語(漢語)で演じられる唐躍(とうおどり)が存在した。「おどり」と名が付くがどちらも舞踏ではなく劇である。 前者は中国から歴代琉球王を冊封に訪れる冊封使の前で上演され、後者はもともと王府で王家たる尚氏の観覧に供されたものであるが、琉球王国の薩摩藩従属後、在国中または江戸参府中の藩主島津家一族の前で演じられるようになった。ただし薩摩・江戸のいずれの土地でも、演者は本来の伝承者である中国系琉球人の久米村(唐栄)住民ではなく、彼らから特訓を受けた首里の士族であ