武将・上杉謙信は、自分の欲に忠実で、神仏に対しても上から目線の侵略者だった――。こんな説を投げかける特別展「謙信 越中出馬」が、富山市郷土博物館(富山市本丸)で開かれている。越中(富山県)へ攻め込む際の書状や神仏への祈願文などから、テレビドラマなどで描かれる謙信とは違った姿を浮かび上がらせようと企画したという。 謙信は生涯で10回、越中に進軍。1577(天正5)年には越中全域に加え能登や加賀北部も制圧したが、78年に急逝した。 富山には攻め込まれた城跡のほか、謙信に焼き払われたと伝えられる寺や神社が50カ所あるという。特別展を企画した同館の萩原大輔主任学芸員は「越中からみれば上杉謙信は侵略者。義に厚いと言われるが、本当は現実主義者で領地を広げたいという欲に忠実だったのでは」と話す。 71年の第6次越中出征に際して記した祈願文には「越中が思い通りになれば1年間読経する」とある。一方で、他の武