神戸市生まれで、翌年より父方の故郷である青森市にて育つ[2]。俳優・声優の成田浬は息子、漫画家の成田美名子は従兄弟の娘。 生後8ヶ月の時、青森県の自宅で囲炉裏の炭をつかんで左手に火傷を負い[2][4]、数度の手術でも治らなかった。1936年4月、青森市立古川尋常小学校(現:青森市立古川小学校)に入学[4]。8歳の時に兵庫県武庫郡大庄村(現:尼崎市)へ移り、大庄村立大庄尋常小学校(現:尼崎市立大庄小学校)に転校。4年生時の学校分離により大庄村立大庄尋常第二小学校(旧:尼崎市立西小学校)に通い、14歳までの6年間を尼崎市で過ごす。小学校では言葉の違いと左手の火傷のことでいじめられ、右手だけで描ける絵が救いとなり、将来は画家になることを決意する。 旧制青森県立青森中学校(現:青森県立青森高等学校)を卒業した[2]当時、絵の指導を受けていた画家の阿部合成宅には太宰治が出入りしており、彼らの激励に勇