占守島の戦い(しゅむしゅとうのたたかい)は、太平洋戦争終結直後の1945年(昭和20年)8月18日 - 21日に、千島列島東端の占守島で行われたソ連労農赤軍と大日本帝国陸軍との間の戦闘である。 ソ連は8月8日に日ソ中立条約を一方的に破棄して対日参戦した。8月15日、日本はポツダム宣言を受諾したが、ソ連軍は樺太では戦闘が継続しており、8月18日未明ソ連軍は占守島も先制攻撃、武装解除を停止していた日本軍守備隊と戦闘となった。 占守島自体の戦闘は日本軍優勢に推移するものの、軍命により21日に日本軍が降伏して停戦が成立、23日に日本軍は武装解除された。捕虜となった日本兵はその後多くがポツダム宣言の趣旨に反する形で連行され、シベリアへ抑留された。 占守島の位置 千島列島のほぼ最北端にあり、北東は千島海峡(ロシア名「第1クリル海峡」)を挟んでカムチャツカ半島ロパトカ岬に面する。南には幌筵海峡(ロシア名