寛文五(1665)年の文書(大塩組風土記之帳)中に「藍」の記載がありました。栽培法としては、貞享元(1684)年成立の「会津農書」に記述がありました。また、福島県においては明治期に最盛期を迎えたようです。 伝播の過程については判明しませんでした。詳細は別掲資料の該当部分をご覧ください。 NDC 染色加工.染色業 (587 9版) 参考資料 福島県史 第24巻 (・p42に「会津坂下の青木地方は藍の産地であり、染め屋も栄えたという」・p148に「会津坂下町青木部落を中心として、立川・沼越・東河原あたりには、藩政末期ごろから本染めの原料である藍作りが行われているが、伝承によれば、先人が大川の氾濫原で、洪水害に耐えうる作物として移入してきたのであるという。」とあり。・p779-785に、『福島県の民俗 民俗資料緊急調査報告書』(福島県教育委員会/編)の染織の項目あり。起源や普及への言及はなし。当
会津木綿をかついだ愛らしいうさぎの人形。 土ねんどに漆を塗って仕上げている。 「もめん屋さん」 3,000円 1枚の木綿に託された想い。 「もめん絲」に置いてある会津木綿の小物やバッグは、ほとんどが地元の主婦達の手づくりの品だ。そこには、家事や育児の合間に1針1針ていねいに針を通した女達の愛情が込められている。 「昔の女達は木綿を大切にした」 と店を営む鈴木幸江さんは言う。彼女も地元在住の主婦だ。 仕立てた着物が古くなれば、布をついでもう一度着物を仕立て、子供に着せた。その着物が古くなると、今度は布を細く裂き「裂織り」で敷物をつくったり、雑巾にしたりした。 「新しい木綿を使うのはもったいなかった。もともと木綿はそういうものなんだよね」 かつて、1枚の会津木綿は何人もの女達の手を介して仕上がるものだった。 綿花を摘み、糸をつむいだ農家の女達。藍草を育て、染料をつくり、糸を濃
蔵の街・喜多方から、会津を代表するファションデザイナー・小林 美子さん。今回は商都、郡山での展示会を開催です。 4月1日(水)~4月6日(月) 郡山市朝日の開成柏屋 アトリエかしわ・KORIYAMAです。℡024-922-5533。 「古字を紡ぐそして衣盛り」喜多方の書家・高橋 政巳先生とArti・小林 美子さんの書と衣の融合です。 文字自体に意味があると高橋氏・木に彫り、布や紙に描いて丁寧に説明をしてくれます。小林さんの会津木綿は縦糸をアレンジし、織元に特注する、表情が一変するオリジナルの会津木綿・小林さんが手がける「衣」への高い評価は、生地あしらいから始まる、すべて潔き一点物です。 本日の画像は前回の喜多方市内での展示会・会場での作品の一部ですが、毎回大盛況です。郡山の皆さんにも満足してもらえると思います。是非 小林さんの作品展を皆さんお揃いで観に来てください。毎回早い内に売約済みにな
片貝木綿に続く 第二の新潟の木綿(と言うと語弊がありますが(^^;) 加茂縞 新潟県加茂市の木綿 加茂縞を扱っている きも乃やさん http://www.niigata-e.net/html/2090A001.html 山田織物さん原山織物さんに続く 第三の会津木綿(というと語弊がありますが(^^;) 青木木綿 福島県会津市坂下町の木綿 青木木綿 http://www.db.fks.ed.jp/txt/10060.002/html/00016.html 2005-11-30 続報掲載しました http://d.hatena.ne.jp/ttanabe_com/20051130#p7 福島県会津市坂下町の青木木綿は もう生産されていないそうです
いつもの猫 (画像は山田織元さんの会津木綿) 時折 思い出したように 会津木綿を追いかけている訳ですが 新たな会津木綿情報を見つけました(^^) 染織こだまさんの木綿展で 久方ぶりに訪れた奈良で 木綿資料館に立ち寄りました 自然の布館 奈良もちいどの店2F 木綿資料館 http://www.masuhisa-naturecolor.co.jp/network/mochiidono2.htm (画像は原山織物さんの会津木綿) そこで展示されていた 佐藤正太郎商店さんの会津青木木綿を拝見しました 何度か訪れた木綿資料館ですが 完全に見逃していましたね(^^; ・山田織元さん ・原山織物さん ・大和織業場さん(現物未入手) ・藤田織物さん に続いて5軒目の会津木綿の織元さんが確認できましたよ(^^) (画像は藤田織物さんの会津木綿) ちょっと気になる木綿 http://d.hatena.ne.j
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