タグ

ソクラテスと哲学に関するyanozのブックマーク (2)

  • ソクラテスの処刑: ケペル先生のブログ

    ソクラテスの有名な言葉「悪法もまた法なり」の出典というのは、いくらさがしてもないそうである。弟子のプラトンが書き残したという事実もない。この言葉は当にソクラテスの言葉なのであろうか。プラトン(前427-前347)がソクラテス(前470頃-前399)に出会ったのは、ディオゲネス・ラエルティオスの「哲学者列伝」によればプラトン20歳、ソクラテス56歳、前407年と推定している。一説によると、プラトンの兄のアディマントスかグラウコンがソクラテスと親しかったからといわれる。ともかく、プラトンは以後8年間ソクラテスの弟子となる。その後ソクラテスは前399年、死刑となるが、その時、プラトンは28歳だった。ソクラテスの死は、プラトンにとって哲学の原点となった。 ソクラテスの死後、プラトンは他の人々とともに、メガラのエウクレイデスのところに一時身を寄せたほか、キュレネやエジプトに旅をしたと伝えられている

    ソクラテスの処刑: ケペル先生のブログ
  • 「悪法もまた法なり」の呪縛: 国籍法12条撤廃連絡協議会

    国籍法が改正され、非嫡出子であっても認知されれば日国籍を取れるようになりました。しかし、嫡出子は3ヶ月以内に出生届を提出しなければ、、国籍を失うという問題が残っています。 今でも小中学校で、ソクラテスが「悪法もまた法なり」と言って毒杯をあおいで死んだという、まったく根拠のない虚構ともいうべき作り話を教えているのでしょうか。ソクラテスは何の著書も残さなかった。ソクラテスの言葉は、プラトンなど弟子たちの著作に断片的に残っているだけです。ソクラテスの「悪法もまた法なり」の出典はどこにあるのでしょうか。ご存知の方は教えてください。この日人のほとんどが知っている、ソクラテスが言ったといわれる言葉が、日の教科書以外どこにも書かれていない大嘘だとしたら、これこそ為政者が、自分の都合のよいように翻訳して国民の心に刷り込んだ仕掛けとも言うものではないでしょうか。出典と思われるプラトンのPhaedo(英

    「悪法もまた法なり」の呪縛: 国籍法12条撤廃連絡協議会
  • 1