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人と事件に関するyanozのブックマーク (7)

  • 「俺、村長やります!」「わたしも!」「わしも!」村長選に202人出馬!本当にあった村長選大量立候補事件の真相

    都市部の選挙は田舎の選挙より立候補者が多い傾向にあります。例えば東京都知事選は1つのイスに10人以上が立候補することもしばしばです。しかし、このような常識を大いに覆す村長選がありました。栃木県の桑絹村(現在は小山市の一部)で1960年に行われた村長選では立候補者が202人という文字通り、桁違いの人数になったのです。 村の合併をめぐる争い 選挙の舞台となった桑絹村はもともと「桑村」と「絹村」という2つの村でした。この両方の村は茨城県結城市と接していましたが、特に絹村は結城市の中心市街に近いことや結城市に問屋が密集している結城紬の生産地であることから、生活や産業において結城市との非常に強いつながりを持つ地域でした。 この大量立候補事件の少し前の1953年に多すぎる自治体数の整理を行うため、自治体の合併を促進するための法律が制定されました。この法律は都道府県にかなり強い権限が与えられており、栃木

    「俺、村長やります!」「わたしも!」「わしも!」村長選に202人出馬!本当にあった村長選大量立候補事件の真相
  • 坂口安吾 帝銀事件を論ず

    帝銀事件はとくに智能犯というほどのものではないようだ。 この犯人から特別つよく感じさせられるのはむしろ戦争の匂いである。私は、外地の戦場は知らないのだが、私の住む町が一望の焼け野となり、その二カ月ほど後に再び空襲を受けて、あるアパートの防空壕へ五〇キロの焼夷弾が落ちた。中に七人の屈強な壮年工がはいっていて爆死したが、爆死といっても、爆発力はないのだし、ただ衝撃で死んだだけで、焼けてもおらず、生きたままの服装で、ただ青ざめて目をとじている屍体であった。 翌日はうららかな初夏の陽がふりかがやいていたが、私が用があって、このアパートを通りかかると、アパートの隣はすでに焼け野なのだが、今しも二人の若者が七人の屍体をつみ重ねて、火をつけるところで、ちょうど七人目を運んできて、ドッコイショと放りだしたところであったが、放りだして、まだ真新しい死人の戦闘帽にふと気がつくと、それをチョイとつまみとって、火

  • これから「ルックバック」についておしゃべりしようと思っている人に注意してほしいこと - 装置

    ※以下加筆部分 この記事は、2021年8月2日に行われた作品の「修正」および同年9月発売の単行『ルックバック』よりも前に書かれたものであり、一番最初に公開されたバージョンに即しています。最初のバージョンは今ではアクセスが難しくなってしまいましたが、公開当時の反応の一例を残しておくことにも一定の意味があろうと思いますので、そのまま残してあります。 ※加筆ここまで 2021年7月19日に『ジャンプ+』で公開された藤本タツキの中編「ルックバック」は、公開直後から大変な反響を引き起こしている。良し悪しという意味での評価は別にして、この作品は読者に何か語らせずにはおかないというか、裏読みのようなものへの欲望を喚起せずにはいない構造がある。"Don't Look Back in Anger"をはじめとした、作品の至るところに散りばめられた「元ネタ」の数々、「バック」=過去=背中=……といったモチーフ

    これから「ルックバック」についておしゃべりしようと思っている人に注意してほしいこと - 装置
  • 朝鮮人虐殺と山崎今朝弥 - どんな懐かしさをおぼえるとしても

    「実に日人という人種はドコの成り下がりか知らないが、実に馬鹿で臆病で人でなしで、爪のアカほどの大和魂もない呆れた奴だと思いました」。 これは明治から昭和にかけて活動した弁護士、山崎今朝弥が関東大震災の朝鮮人虐殺について書いた文章の一部だ。山崎は大杉栄の弁護士にして友人で、布施辰治とともに多くの社会主義運動家の弁護もしている(金子文子と朴烈の弁護にも加わっている)。 山崎はまた、大変な悪戯者でもあった。権威、権力というものに違和感があったらしく、機会があればふざけずにいられなかったようだ。若い頃、信州で開業していた時には、営業広告に「弁護士大安売」というタイトルをつけ、「山崎博士法務局」を名乗っていた。 もちろん、彼の事務所は民間の機関で、学位は法学士である。「これはヒロシと読んでただの通称だ」「民間機関が『局』と名乗っていけないという理由はない」というのが彼の言い分だったらしい。 また、

    朝鮮人虐殺と山崎今朝弥 - どんな懐かしさをおぼえるとしても
  • 【悲惨なウイルス漏洩事件】「天然痘」で死亡した最後の人類に起こった衝撃の真相

    (やまもと・たけひと)。2010年、京都大学医学部卒業。博士(医学)。外科専門医、消化器病専門医、消化器外科専門医、内視鏡外科技術認定医、感染症専門医、がん治療認定医など。運営する医療情報サイト「外科医の視点」は開設3年で1000万ページビューを超える。Yahoo!ニュース個人、時事メディカルなどのウェブメディアで定期連載。Twitter(外科医けいゆう)アカウント、フォロワー約10万人。著書に17万部突破のベストセラー『すばらしい人体』(ダイヤモンド社)、『医者が教える正しい病院のかかり方』『がんと癌は違います~知っているようで知らない医学の言葉55』(以上、幻冬舎)、 『医者と病院をうまく使い倒す34の心得』(KADOKAWA)、『もったいない患者対応』(じほう)ほか多数。 Twitterアカウント https://twitter.com/keiyou30 公式サイト https://

    【悲惨なウイルス漏洩事件】「天然痘」で死亡した最後の人類に起こった衝撃の真相
  • 「秋葉原で無差別殺傷した死刑囚の元同僚です」大友秀逸さんがそう名乗ってツイッターを続ける理由 「人を殺したい」という内容のメールが定期的に届く

    プロフィール欄に「秋葉原事件加藤智大の元同僚で友人です」と書かれたTwitterのアカウントがある。アカウントの所有者である大友秀逸さんは、仙台市の警備会社で加藤智大死刑囚と一緒に働いた経験がある。「実名・顔出し」で情報発信をしており、このため何度もメディアの取材を受けてきた。なぜそんなリスクを引き受けているのか。無差別殺傷事件を取材している写真家・ノンフィクションライターのインベカヲリ★さんが聞いた――。(第1回) ※稿は、インベカヲリ★『「死刑になりたくて、他人を殺しました」無差別殺傷犯の論理』(イースト・プレス)の一部を再編集したものです。 「『人を殺したい』という内容のメールが来るんです」 こんなツイッターアカウントがある。 「秋葉原事件加藤智大の元同僚で友人です。どなたでもご意見や質問などございましたら自由に書き込んでください」 「秋葉原無差別殺傷事件」が起きたのは、2008年

    「秋葉原で無差別殺傷した死刑囚の元同僚です」大友秀逸さんがそう名乗ってツイッターを続ける理由 「人を殺したい」という内容のメールが定期的に届く
  • 広島大会 基調講演|平成27年度「犯罪被害者週間」啓発事業実施結果 - 警察庁

    「天使が空に帰った日」 清水 誠一郎 日は、被害者支援週間広島大会にお招き頂き、内閣府、広島県、広島県警察、広島被害者支援センター、そして今日御参加いただきました皆様に心から感謝いたします。ありがとうございます。 今から講演をさせていただきますが、初めに娘が生きた3年間、そして事件当日の家族の様子、それから今後社会に求めることを私たちの考えでお話をしたいと思います。話の中で失礼な点や、また話ができなく、詰まったり、泣いたりする場面もありますが、これも被害に遭った者の姿と思っていただき、最後までお聞きいただければと思っております。どうかよろしくお願いいたします。隣にが同席しておりますが、日は私からのお話ということでさせていただきます。 娘の心(ここ)は、平成19年9月21日、清水家の4番目、長女としてこの世に生を頂きました。それから天国へ行くまでの3年と半年、月に直しますと42カ月があ

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