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人と芸術に関するyanozのブックマーク (5)

  • タリン・パディの反ユダヤ主義疑惑を払拭する

    チェン・ウェイモン|インター・アジア木版画グループのメンバー 杉田敦訳 これは、“Inter-Asia Aoodcut Mapping series IV”の『異識的藝術』と題された冊子に掲載された論考(英文)の日語訳である。 * インドネシアの芸術家集団タリン・パディによる作品『人民の正義』は、documenta 15において、「反ユダヤ主義」であると告発された。作品は当初、黒い布で覆われていたが、後にカッセル当局の発表を受けて展示から撤去された。同市のクリスチャン・ゲゼル市長は、『人民の正義』が市と展示に「重大な損害」を与えていると批判した。ドイツ文化メディア大臣クラウディア・ロートは、この作品を選定した意志決定プロセスの調査を約束した。documenta 15に対する反ユダヤ主義という批判は、最終的に、2022年7月16日の、ディレクターのザビーネ・ショーマンの辞任に至った。 『

    タリン・パディの反ユダヤ主義疑惑を払拭する
  • ドクメンタ15をめぐって ー ユダヤ人への贖罪と表現の自由の間で揺れるドイツ

    ドクメンタ15をめぐって巻き起こっている問題ドイツにいる友人から、「今年のドクメンタの動向追ってる?荒れて凄いことになってるよ!」との連絡が来た。新型コロナウィルス感染症に対する各国の対応もだいぶ落ち着いてきたとはいえ、まだ完全に収束したわけではなく、コロナによる影響だけでなくロシアによるウクライナ侵攻の影響などもあって航空チケットの値段も高騰しており、今年はドイツに行く余裕はなさそうだと諦めていたため、怠惰にもドクメンタ15の内容をちゃんと追っていなかった自分を恥じました。 友人からのメッセージを受けて慌てて検索してみると、あいちトリンエナーレ2019「表現の不自由展」の騒動を彷彿させるような事態になっているではないですか。 実際にドクメンタ15を現地まで見に行ったわけではないのに、ドクメンタ15をめぐって巻き起こっている問題について書くのもどうかと悩みましたが、昨今の情勢により、実際に

    ドクメンタ15をめぐって ー ユダヤ人への贖罪と表現の自由の間で揺れるドイツ
  • 蓑虫山人ーー偉人でもない、立派でもない、有名でもない。この人物を知って欲しい理由。|縄文ZINE_note

    蓑虫山人、名は土岐源吾。虫の蓑虫が家を背負うように折りたたみ式の幌(テントのようなもの)を背負い、幕末から明治期にかけて全国を放浪した絵師。美濃国(これも蓑虫の名前にかかっている)、今の岐阜県安八郡結村で生まれ、64歳で名古屋の長母寺にたどり着き、半年後、近くの別のお寺に風呂を借りに行き、風呂上がりに昏倒しそのままこの世を去った。享年65歳。脳溢血だったのだろう。 蓑虫(親しみを込め、こう呼ばせていただく)との最初の出会いははっきりと覚えていない。しかし、縄文好きの中では「知らない人物」ではない。東北の縄文を見に行ったり調べたりすると、たまーに、目の端に蓑虫の描いた土偶の絵がちらちらして、なんだかこの土偶かわいいなぁと思っていたりした。そんなわけで、実は気になる人物でもあったのだ。 数年前、縄文ZINEに写真を載せてもらう依頼をするために、写真家の田附勝さんと新宿の喫茶店フォーレストで打

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  • 戦後を代表するドイツ人芸術家ヨーゼフ・ボイス 偽りだらけの過去 - SWI swissinfo.ch

    しかし、ボイスが自身の人生に関して語っていたことは実は全くの虚構で、86年の彼の死後も長い間、疑う余地なく信じられていた。リーゲル氏が初めてボイスに出会ったのは73年のことだ。ボイスをよく知る同氏は、40年後の2013年にようやくボイスの人生や作品、政治、哲学に関する数々の俗説を覆す伝記を出版した。 作家、画家、映画製作者のハンス・ペーター・リーゲル氏。独デュッセルドルフのボイスと同じ地区で生まれ育った。1989年よりスイス・チューリヒ在住 © Samuel Schalch / Tages-anzeiger swissinfo.ch:私が2014年に著書を読んだときは、ボイスがナチスだったか盗作者だったかと言う以前に、私たちが思っていたよりもはるかに複雑なアーティストであり、そのような人格だった、という印象を持ちました。 ハンス・ペーター・リーゲル:ボイスは精神的に病んでいたのかもしれませ

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  • Mee tooみたいな何か|世に余されたるなんとやら

    2014年ごろにあったパワハラについて書きます。なぜ今書くのかといえば、理由は大きく二つあります。 一つ目は、人づてに私と同じような目にあっている人が複数人いると聞いたので、あの時、私が後に続かないように止めなかったのを悔やんだから。 二つ目は、複数人に圧力をかけながらも女性や人権や暴力についてのディスカッションを行うのを見ていると、彼らの行動の背後を知らずに参加している人たちに申し訳ない気持ちになったから。 ということで、まずは忘備録として、書き始めます。 もう、次の誰かに精神的な傷を負わせないで欲しいです。 ----------------------------- 私が福島の芸術祭のディレクターだった時、井上さんと北田さんはアドバイザー。 芸術祭の準備中、北田さんとは性的関係がない(デートや身体接触がない)が、唐突に結婚を申し込まれた。北田さんは既婚者。好意はありがたいし嬉しいが、き

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