ここ数年、古代ギリシア語で「演技する(hupokrinomai)」という動詞はなぜ中動態なのか、ということを考えている。だが、そもそも中動態とは何か、ということ自体があまりにも厄介な問題で、ちょっと手をこまねいていた。そこに、國分功一郎さんが『中動態の世界』*1を出してくれたおかげで、だいぶ視界が開けてきた。演出家の高山明さんの作品を見に行った際に、たまたまその話をしたところ、次の作品でトークゲストとして呼んでくださり、國分さんと三人で「中動態の演技論」というテーマで話をさせていただくことになった*2。おかげで少し考えがまとまってきた。 *1 國分功一郎『中動態の世界 意志と責任の考古学』医学書院、2017. その後、森田亜紀さんの『芸術の中動態―受容/制作の基層』萌書房、2013にも出会い、大きな示唆を受けた。 *2 高山明『東京修学旅行プロジェクト:タイ編』スペシャルトーク ゲスト:國
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