「明日は明日の風が吹く - 何時かは自身を褒める時が来ればいい(from 歓楽叶わぬ納骨堂庭園)」を読んで。 yas-toro氏が「書きたい事」があって、それを書いている事が多いと書いているのだが、私の場合はどうだろうと考えてみた。どうやら、私は書きたい事があって書いているのとは少々違うみたいである。誰かが書いている事を読んでそれに反応して思い起こされる事柄をただ書いているだけのようだ。それは伝えたくない事ではないわけではあるが、どうしても伝えなくてはならないというものでもないはず。では、何故書き続けるのだろう。だがしかし、恐らく、誰も相手にしてくれなくてもこのまま書き続けていくのだろうな。誰かは「楽しいから書き続けている」と言っていたが、確かにそれもあるだろうが、本当に楽しければ何も反応がなくても書き続けられるものなのだろうか。 瓢箪鯰な私は「伝えたい事」とか「本質」をそのまま出すのが恥