スルー力とは、自らが身に付けたら便利な能力に過ぎないのであって、他者に安易に強要してはいけないものではないかと思う。 今話題の「スルー力」というのは、完全に身に着けてしまったら、ただの「他人の話を聞かない奴」であって、使われている「スルー力」の語彙のニュアンス的な意味としては「大事なことには興味を持ち、不要なものに対しては気に止めずに流す能力」ということになります。 この定義による「スルー力」は必要かどうかと問うことは、あまり意味がない。というのも、最初から「必要なものと不必要なものをフィルタリングする能力」という絶対的価値観が付帯されているからだ。そりゃ有った方が良いに決まっている。 で、そのフィルタリング能力があった上で「不要なものに対しては気に止めずに流す」という能力も、有ったほうが有益であるわけだけれども、精神衛生上の問題として「気に止めず」が可能かどうか。気に病みながらスルーして