哲学&名言とコミュニケーションに関するynxynのブックマーク (2)

  • 自分らしさを語れない人々/これからの「大人論」(1) - デマこい!

    には、大人が少ない。「自分らしさ」や「モテ」を何歳になっても求めつづけ、思春期のメンタリティを捨てらない人ばかりだ。少子高齢化の時代とは裏腹に、精神的には未成熟な人が多い。 では、大人の条件とは何だろう。どんなことができれば「大人」と見なされるだろう。 条件の1つは、「自分を語れること」ではないだろうか。 ◆ 人気ブロガーで精神科医のシロクマ先生は、思春期のメンタリティをいつまでも捨てられない人々のことを、「思春期ゾンビ」と評している。男たちは何歳になっても女ウケを狙って「ちょい悪」を模倣し、女たちはいつまで経っても「女子」を自称する。そのうち「60代女子」「70代女子」という言葉が雑誌の表紙を飾るだろう。 30代、40代はもとより、60代以上の団塊世代の人々さえも「思春期のメンタリティ」を抱えている。 日には、大人が少ない。 誰も彼もがライフサイクルの次のフェーズに進まず、若い頃の

    自分らしさを語れない人々/これからの「大人論」(1) - デマこい!
  • 信仰が無いことにいまさら苦しむ

    ここ最近、キリスト教に関連のある文学に触れている。『失楽園』や『レ・ミゼラブル』など。これらの作品に触れて感じるのは、信仰を持つ者の圧倒的な情熱と、他者と関わり合おうとする想いの誠実さだ。そして、日の世俗のなかにいて確たる信仰を持たないまま生きてきた自分には無いものである。私には居場所が無い。交友関係ならなんとなく時々会う友人はいるし、親族との交流もあるし、学生なので研究室の中でゼミ生と交流がある。(恋人はいないが)。しかしなぜか、真に安心して心を許せる場所にならない。常に自分の心を打ち明けられないことに苦しむ。心とは、私はあなたがたに関心を持たない。あなたがたも当のところは私に関心を持っていないだろう。単に生きていくための利害でこうして過ごしているだけなのだということ、それで生きられるなら誰とも合わずに放っておいてほしいということだ。当然だれしもひとりでは生きることはできない。私

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