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societyとlifeに関するyorozunaのブックマーク (3)

  • 「看板を背負う」ということ

    中高生の頃に 「君たちは○○校の看板を背負ってるのであるから」 などと言われてもよくわからないというか、 「そんなもん背負ってないし俺は俺だ」 みたいなことを言いたい時期だから あまり響かないんじゃないかという気がする。 でも大人になってみると、 好むと好まざるとにかかわらず 誰もがいろんな看板を背負っていることがわかってくる。 「俺は俺だ」の人は 「だから俺個人としてのみ判断してもらいたい」んだけど 残念ながら世の中のほとんどの人は「俺」の人のことを知らない。 ただ、たとえば学校の制服を着ていると 地元の人ならどこに所属しているかはわかるだろうし 他に情報がなければ「の中の一人」としてしか判断できない。 結果「俺」の言動は 「その集団に属する誰かの言動」にしかならないし サンプル数が十分にない場合は それがそのままその集団とそれに属する個人への評価にもつながり得る。 「自分の責任は自分で

    「看板を背負う」ということ
  • 地方都市という地獄 あるいは関東圏の「私が住んでるところは田舎だよ(笑」が如何に残酷かについて - mizchi log

    都会に住む人間は、その価値を過小評価している。というのが僕の持論だ。そしてそれは東京に6年住んでより強固になった。 都心住まいの価値とは何か - よそ行きの妄想 http://d.hatena.ne.jp/chnpk/20130115/1358204323 この記事の感想としては、およそ渋谷に特徴的な衛生問題が多いという事実には同情するとしても、常になにかしらの機会が与えられていることを無自覚だ、という点が地方の人間を刺激するだろう。 子供用の自転車が買えなかったとしても、買える距離に生きているのだ。さすがに子供用の自転車ぐらいは田舎でもみつかるが、嗜好品の類はそもそも手に入るかが怪しい。 今ではインターネットで緩和されたとはいえ、それを実際に目にする機会があるかという点において、それを好きになる機会すら与えられないかもしれない。 表題は、地方出身者を最も怒らせる一言である。 僕は、18歳

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  • 『NHKスペシャル「無縁社会 -無縁死3万2千人の衝撃」 -壊れる家族・地域・仕事』

    すくらむ国家公務員一般労働組合(国公一般)の仲間のブログ★国公一般は正規でも非正規でも、ひとりでも入れるユニオンです。 1月31日放送のNHKスペシャル「無縁社会~“無縁死”3万2千人の衝撃」は、同Nスペの「ワーキングプア」を手がけたディレクターが担当したということもあってチェックしました。日社会の病巣をリアルにドキュメントしながら最後に一定の角度から問題を分析するというスタイルと思い込んでいましたので、少々驚かされました。最初から最後まで番組は淡々と「無縁死」の軌跡を追い続け、観る者に日社会の現実を提示するのみだったからです。しかし、それが逆に印象深い眼差しを持ったものとなりました。以下、淡々と番組をレポートします。(※例によって相当丸めた要旨ですので御了承を。byノックオン) お台場に響く、もの悲しいサイレンと水しぶきの音。東京湾岸署の警備艇が身元不明の水死体のもとに向かいます。毎

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