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考察に関するyt-tanabeのブックマーク (2)

  • スクショケシというプロダクトを通じて検証したかった仮説|Yamotty | 10X, inc.|note

    2018/4/3に、「スクリーンショットだけを選んで消せる」という、ただそれだけの実験的なiOSアプリ『スクショケシ』をリリースした。 リリース直後の反響は(特にTwitter上で)大きく、溜まったスクリーンショットをシンプルに管理できるプロダクトとして話題(≒インストール)を呼び、一時はTwitterトレンドに掲載された。 このプロダクトの開発自体は僕と石川(@_ishkawa)が休日を使って行い、 デザインと仕様に半日、開発自体に丸1.5日程度でリリース。しかし僕らとしてはかけたリソース以上に大きな仮説が検証できた。 スクショケシを通じて行った検証価値は、僕らが手がけるタベリーというプロダクトに輸入され、大幅なリニューアルの意思決定を後押しした。 そんなスクショケシだが、この記事では、「スクショケシはどんな仮説検証を狙ったプロダクトだったのか?」について自身の整理も含めてまとめたいと思

    スクショケシというプロダクトを通じて検証したかった仮説|Yamotty | 10X, inc.|note
  • 生命を燃やすことと失うことの違いと思考の関係と、二元論への終止符

    ある日唐突に、Twitterにこのような質問が飛び込んできましたので、皆さまが命を燃やすときに少しでもお役に立てればと書きました。 「鶏が先か、卵が先か」問題への終止符 鶏が先か卵が先か問題は、鶏がいないと卵が生まれないし卵がないと鶏が生まれないという、因果性のジレンマの例として使われ、私が世の中で最も危険だなと思うものの一つです。 例えばビジネスにおいては、市場が大きくならないと成功事例が出ないけど成功事例がないと市場が拡大しない、とか、多くの人が買ってくれないと原価を安くできないけど安くできないと多くの人が買わない、などのシーンです。このような行き詰った状況の場合に、「これは鶏が先か卵が先かという問題だ(だから打ち手がない)」という風に言う人もいます。 しかしほとんどの場合においては、AとBはそれぞれからしか生まれないという状況は視野を狭く定義しない限り、そんなことは成り立ちません(な

    生命を燃やすことと失うことの違いと思考の関係と、二元論への終止符
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