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人間に関するyuuki531freeのブックマーク (6)

  • 「職位が高い人間ほど、技術的な実務から遠ざかってしまう」のを解消しようとして、失敗した時の話。

    どうも、しんざきです。 実を言うと先月・先々月と、プロジェクトが割と生死をさまようレベルで炎上しておりまして、夢のデスマ王国という風情だったんですが、お蔭様で今月はだいぶ落ち着いてきまして、若干人間的な生活が出来る状況になってきました。 デスマ程健康に悪いものはこの世に存在しないと思います。 失敗した時の話をします。 十年近く前の話ですが、システム開発の会社に勤めていたことがあります。 それ程有名な会社ではないのですが、一応独立系で、社員は4桁に届かないくらいで、SI案件とSES案件が大体半々くらい、自社業務と客先常駐も大体半々くらいという、まあよくある「昔ながらのシステム開発会社」だったと思います。 私はその会社で、主に金融関連のプロジェクトを担当する部署に所属していました。 ぬるい案件もあれば地獄案件もあったのですが、まあそれはいずれ、ほとぼりが冷めた頃に書こうと思います。 某大きな銀

    「職位が高い人間ほど、技術的な実務から遠ざかってしまう」のを解消しようとして、失敗した時の話。
  • 【社会の底辺】アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した。

    『アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した』(ジェームズ・ブラッドワース著・濱野大道訳/光文社)というを読みました。 この、イギリスのジャーナリストが、アマゾンの倉庫でのピックアップ作業、訪問介護、コールセンター、ウーバーのタクシー運転手という、「最底辺の労働」に自ら従事し、そこで得られる収入で生活した記録なのです。 著者は自身には「逃げ場」があり 「物の貧困や底辺労働に陥っている人たちと同じではない」 と断りを入れていますが、これらの仕事の現場を知ると 「いまの我々が『便利』だとか『新しい時代の仕事』だと思い込んでいるものは、当に人間を幸せにしているのだろうか」 と考え込まずにはいられなくなるのです。 世界金融危機のあと、自営業者が100万人以上も増えた。その多くが、インターネットなどを通じて単発の仕事を請け負う”ギグ・エコノミー”という働き方を選んだが、彼らに労働者の基

    【社会の底辺】アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した。
  • 平凡で、特に見せ場もない人生。でも、それには価値がある。

    先日亡くなられた、作家・漫画原作者の小池一夫さんの『人生の結論』(朝日新聞出版)という著書の冒頭に、こんなエピソードが出てくるのです。 先日、友人が亡くなりました。彼は、世間では成熟した大人の代表のような扱いを受けていました。皆が、彼のことを粋な通人と呼びました。 骨董をたしなみ、古書を集め、家に行けばチェロが置いてありました。酒に詳しく、葉巻を吸い、通で通っていました。 しかし、長年の付き合いのある僕は知っています。彼は収集したをほとんど読んではいませんでした。美しい棚のためのでした。チェロも弾くことはできませんでした。センスのいい男でしたが、センスのよさだけで世を渡っていました。 しかし、僕が、彼がすごいなと思うのは、物の成熟した人間ではないのに70で死ぬまで、その一見成熟した大人の男だというスタイルを貫き通したまま死んでいったことです。 死ぬまで吐き通した嘘は、ある意味真実

    平凡で、特に見せ場もない人生。でも、それには価値がある。
  • 大人は、口や態度に出してはいけないことがある。

    ツイッターを眺めていました。 すると、「やめてほしい怒り方」というツイートが、話題になっていました。 【やめてほしい怒り方】 新社会人はこんな怒り方 されたら無視して良い pic.twitter.com/R0MS1FypUx — ゆきほり (@yuki0hori) 2019年5月27日 私個人も、新人のとき、失言をして強烈に怒られた記憶があります。 なので、ツイートを見て「怒り方間違うと、だめだよなー、そうだよなー」と思いました。 けれど、このツイート。 異常に拡散されています。一体なぜでしょうか。 それは「ミスを責める上司」に対するツイート主のコメントに結構トゲがあるからでしょう。 上司からの「現場の写真撮ってきて」との依頼をすっかり忘れてしまったツイート主は、上司からきつくそれを責められました。 が、怒られている最中 「そんな事を言っても忘れたもんはしょうがないじゃん」ってずっと思って

    大人は、口や態度に出してはいけないことがある。
  • できる人はできない人に歩み寄り、できない人は「ありがとう」を忘れなければ人間関係はうまく回る。

    結婚していると、いろいろと男と女のものの考え方の違いを痛感する。 夫婦喧嘩は犬もわぬというけれど、つい先日あったヒト幕が自分の中で随分と衝撃的だったので紹介させて頂きたい。 お願いは断ってはいけないもの? キッカケは些細な事だった。 Amazonで買いものをしたのだけど、運悪く配送時に不在で受け取りができなかった。 当にたまたまなのだが、はそのまま里帰りをする予定だった事もあり、僕にLINEで 「ヤマトから不在着信が来たから、荷物受け取っといて」 と連絡をよこした。 ちょうどその頃、僕は勉強会続きだったり仕事を大量抱えてたりでハチャメチャに忙しく、いろいろ限界だった事もあって短文で一言 「嫌じゃぁ」 と返事を返した。 どうせ荷物を受け取ったところでは里帰り中である。この荷物が必要になるケースは万に1つもない。 断ったのは、別にそうしても何も問題ないだろうとの判断もあった。 まあ

    できる人はできない人に歩み寄り、できない人は「ありがとう」を忘れなければ人間関係はうまく回る。
  • 個人主義社会は、自分自身を省みる機会も能力も無い、「唯我独尊」の人間を大量生産する

    先日、私は自分のブログにこんなブログ記事を書いた。 だけど、叱られない社会をみんなが望んだ。 相互不干渉の浸透した社会のなかで他人に干渉することはますます難しく、勇気の必要な、リスクを孕んだものになっているわけだから、私たちはおいそれとは他人を叱れないし、他人に叱られにくくもなった。 ここでいう「他人に叱られにくくなった」とは、他人に叱られる頻度が低下したという意味だけでなく、他人に叱られ慣れなくなった、という意味も含んでいる。 他人から陶しがられそうな言動を繰り返していても、相互不干渉がマナーになっている現代社会では、誰かが叱ったり注意したりしてくれることは少ない。 自分を叱ってくれる人、それもちゃんと心に刺さるようなかたちで叱ってくれる人は貴重な存在だ。 先日AERA.dotに掲載されていた以下の記事は、まさにそのことを思い出させる内容だった。 66歳男性が風呂場で涙… 友人もいない

    個人主義社会は、自分自身を省みる機会も能力も無い、「唯我独尊」の人間を大量生産する
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