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地理に関するyuzuk45のブックマーク (2)

  • 中野に大正時代の刑務所の跡が残っていた - 足跡を辿る

    何となく古地図を見ているときのことだった。中野駅の近くに大きな建物を見つけた。調べるとかつてそこには大正時代からの刑務所があったらしい。しかもウィキペディアによると、跡地には今でもレンガ片や土塁が残っているらしい! ところが、レンガや土塁の跡について調べても何も情報が出てこない。ならば自分で調べてみよう。 実際に行ってみたところ、思った以上にいろいろな跡が残っていることがわかってきた。 謎の施設発見 はじまりは古地図だった。 まずはこれを見てほしい。左が大正5年、右が現在の地図だ。東京の中野駅あたりを表している。(今昔マップより) 南にある横線が中野駅だ。北側と南側に大きな施設がある。南側はかつての日軍の用地。スパイ活動で有名な「陸軍中野学校」があったのもこの場所だ。 そして注目したいのは北側。左側の大正の地図に書いてあるのは「豊多摩監獄」。 監獄。つまり刑務所だ。まさか中野にあったとは

    中野に大正時代の刑務所の跡が残っていた - 足跡を辿る
  • 日本が植民地にならなかったわけ/日本の「すごさ」の源泉 - デマこい!

    この画像はネット上に出回っているもので、第二次大戦前の世界地図だとされている。日とタイ以外の地域はすべて欧米の植民地であり、日が植民地化されるのも時間の問題だった。だから、日は反撃に出るしかなかった──。この画像には、しばしばそんな解説が添えられる。 しかし残念ながら、この画像はデマだ。 端的に言って、世界地図がこのような勢力図になった時代はない[1][2]。 日が開戦に踏み切った理由は、経済的な側面を考えたほうが理解しやすい。戦前の日は金属や燃料などの戦略物資のほとんどをアメリカから購入しており、常識的にはアメリカとの戦争は考えられなかった。ところが、盟友ナチス・ドイツがヨーロッパでのアウタルキー(自給自足経済)を確立しつつあることに触発され、自らもアウタルキーを目指した。これがアメリカによる経済制裁を誘発し、日はますます自給自足を目指さなければならないという循環に陥り、戦争

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