東京府東京市本所区(現:東京都墨田区)で、中華民国籍の王仕福(中国語版)(1901年 - 1985年、現:中国浙江省麗水市青田県出身[17]、1922年渡日)、日本人の王登美(1901年 - 2010年、富山県富山市出身[18]、旧姓:當住)の次男として生まれる。 1940年5月10日に二卵性双生児の弟として出生したが、戸籍上の出生日は5月20日である。実際の出生日と戸籍上の出生日が異なる理由は、両親が「この子は長く持ちそうにない」と出生届の提出を見合わせていたからと自著『もっと遠くへ~私の履歴書~』で王自身が述べており、出産時には仮死状態でその後も病弱で両親も随分心配したという[19]。「3つの歳まで立つことすらおぼつかず、4歳でやっと丈夫になれた[20]」と本人が述べている。 6人兄弟の次男であり、長兄は鉄城、長姉は幸江、次姉に順子、同じ日に生まれた双子の姉:廣子(1歳3か月で死去)、
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