植芝 盛平(うえしば もりへい、1883年〈明治16年〉12月14日 - 1969年〈昭和44年〉4月26日)は、日本の武道家。合気道の創始者。合気道界では「開祖」(かいそ)と敬称される。 和歌山県西牟婁郡西ノ谷村(現在の田辺市)の富裕な農家に生まれた。大東流を初めとする柔術・剣術など各武術の修行成果を、大本教や神道などの研究から得た独自の精神哲学で纏めなおし、『和合』、『万有愛護』等を理念とする合気道を創始した。 開祖の他の敬称として「翁」(おう)。特に古い高弟は「翁先生」・「大(おお)先生」と呼ぶ。 身長156cmながら大相撲力士を投げ飛ばすなど幾つもの武勇伝が有り、また老境に至っても多くの“神技”を示し「不世出の達人」と謳われた。太平洋戦争(大東亜戦争)中は軍部に有用性を認められ、陸軍憲兵学校・海軍大学校などで武術指導を行う。 終戦後息子で後継者の植芝吉祥丸と共に合気道の社会普及に務