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PCと歴史に関するzunchan3のブックマーク (2)

  • 3人の天才が生んだパソコン移植版「ゼビウス」 - シューティングゲーム探究記

    ゼビウスを生んだ遠藤雅伸、それに追従するかのように世に出た 大堀康祐(うる星あんず)、松島徹、藤岡忠。この3人の天才が絡んで生まれたパソコン移植版ゼビウス誕生秘話です。 ゼビウスはスペースインベーダーやギャラクシアンがそうであったようにパソコンへの移植が期待されていました。しかし、ゼビウス用に設計された基板はCPUを3つも利用しているため当時のパソコンに比べて非常に性能が高く、移植は不可能であると当時の記事でも喧伝されていました。ところがゼビウスの発売から10ヶ月足らずしか経っていない1983年12月、誰もがゼビウスが稼働することすら夢に思わなかったであろうパソコン「PC-6001」で動かせる移植版ゼビウス第1号が発売されたのでした。その「タイニーゼビウス」をプログラムした松島徹は当時、中学生でした。不可能と思われていた移植を可能にしたのは天才ならではの大胆な発想の転換があったからでした。

    3人の天才が生んだパソコン移植版「ゼビウス」 - シューティングゲーム探究記
  • 最後に、日本ソフトバンクに出版事業部があった時代について話そう

    この連載コラムもこれが最終回となるので、社内では現役最年長の編集者として、自分が経験してきたコンピュータ雑誌について語ろうと思う。 筆者はこの9月で63歳。1967年のビートルズのアルバム「Sgt. Peppers Lonely Hearts Club Band」でポール・マッカートニーが歌った曲の年齢まであと1年だ。ヴィーラ、チャック、デイブという名前ではないが、孫も2人生まれた。 「人生が二度あれば」の欠けた湯呑み茶碗を使っている父親の年齢まで2年。60歳から定年後再雇用で編集部に所属しているが、それも8月いっぱいで終わり。次の道へ進む予定だ。仕事を終わらせるめどがついたので、週末に2人目の孫に会いに自転車で25km走ってきた。 アイティメディアに限らず業界全体を見ても、筆者より年上のコンピュータ雑誌/メディアの編集者はほとんどが引退しており、同年代でも現役は数えるほどしかいない。記憶

    最後に、日本ソフトバンクに出版事業部があった時代について話そう
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