歴史的仮名遣いや漢字の旧字体を用いて書かれた文章に興味はあるものの、今まで読みづらくて敬遠していたみなさん、ここで変換して気軽に読んでみませんか? 小さな画面で簡潔なスマホ向けページと、ローカルに保存しても動作する JavaScript 版もあります。 使い方と変換辞書の情報。
歴史的仮名遣いや漢字の旧字体を用いて書かれた文章に興味はあるものの、今まで読みづらくて敬遠していたみなさん、ここで変換して気軽に読んでみませんか? 小さな画面で簡潔なスマホ向けページと、ローカルに保存しても動作する JavaScript 版もあります。 使い方と変換辞書の情報。
オレは趙萬年《チョウ・バンネン》。 軍人やってる。 上司が京西南路の襄陽の守備に就くことになった。 いざ赴任してみりゃ、噂どおりマジで最前線だ。 敵軍との和平交渉はアッサリ決裂。 大河のほとりの水上交通の要衝・襄陽で、いたちごっこの籠城戦が始まった。 戦争って、何気に地道な土木工事ばっかだよな。 あと、敵軍から物資をかっぱらってきたりとか。 ―――――――――― 南宋代の開禧二年から三年にかけて、 西暦で言えば一二〇六年から一二〇七年にかけてのこと。 北方から攻め入った金軍が襄陽(湖北省襄陽市)を包囲した。 その際、襄陽で籠城した軍人の一人、趙萬年が記録を残している。 これは正史には載っていない戦場日記。 生の言葉で書かれた原文を活かして、超訳を試みる。 前近代風ファンタジーの戦…続きを読む
画集「NO WAR!」より。Untitled 2004-2005 (c) Yoshitomo Nara, courtesy of the artist 終戦から70年という節目の年、安倍政権が進める安保関連法案は国民的な議論を呼んでいる。この夏、私たちは戦争や安全保障についてどう考えたらよいのだろうか。2014年末に戦争をテーマにした画集「NO WAR!」(美術出版社)を上梓したのは、国際的な現代美術家、奈良美智さんだ。 私たちは奈良さんの画集からかつてないほどの強いメッセージを受け取ることができる。東日本大震災や福島第一原発事故を経て、原発再稼働、安保関連法案など、「世の中の流れを見ている時に、このままだと、おかしくなっちゃうんじゃないかと不安をすごく覚えた」という奈良さん。前半のインタビューでは、画集を出したきっかけを『「僕はこういうことを考えてきたんだよ」っていうふうに出してもいいん
1941年12月8日、真珠湾攻撃と同日、マッカーサーは、アメリカの植民地だったフィリピンで日本軍を迎え撃つ。マッカーサー軍15万人に対し、日本軍はその3分の1にも満たない4万3000人。マッカーサーは余裕で撃退できると自信を持っていた。 しかし日本は、初日の爆撃で大きな成果を上げ、フィリピンの航空戦力を壊滅まで追い込む。その状況にマッカーサーは、「日本軍の戦闘機は、ドイツ人パイロットが操縦していた」と本部に報告するまで日本軍を低く評価していた。 ところがその日本軍の怒涛の進軍は止まらず、マッカーサーは侵攻からわずか1ヶ月で首都マニラを明け渡すことになり、マニラ近くのバターン半島での防衛戦しか残された道はなかった。 小さい半島で大軍を抱えることになったマッカーサー。致命的なことに食料がなく、飢餓と疫病、そして連日の日本軍の猛攻に誰もが衰弱していった。「このままではマッカーサーが捕虜になりかね
この先は「デイリーポータルZをはげます会」会員向けの有料コンテンツです。会員になるとごらんいただけます。
カエデの葉のデザインに至るカナダ国旗の歴史 世界には様々な国旗がありますが、植物があしらわれているデザインがいくつかあります。 例えば、レバノン杉が中央に描かれたレバノン国旗や、サボテンが描かれたメキシコ国旗。オリーブや月桂樹の葉が描かれた国旗も多いです。 中でもパッと思いつくのがカエデの葉が描かれたカナダ国旗。スポーツの国際大会などですっかりおなじみですが、この旗が初めて登場したのは1965年で比較的新しいのです。 実はこの旗に決まるまでは、様々なデザインが提案され国を二分するほどの侃々諤々の議論がなされ、ようやく落ち着いた国旗なのです。 1. ヌーヴェル・フランスから大英帝国連合旗へ カナダの地は昔から先住民のアルゴンキアン語諸族、ヒューロン族、イロコイ族などが居住していました。 この地を「カナダ」と初めて読んだのはフランス人のジャック・カルティエ。 カルティエは1534年にシャルル湾
「ドイツ料理と言えばジャガイモ」となるまで ドイツ料理、食べたことありますか? とりあえずビールで乾杯して、前菜はジャガイモのポタージュスープ。ポテトサラダ。 次いでソーセージ。付け合わせにはザワークラウトとフレンチフライ。 メインはローストビーフかポークソテー。付け合わせはマッシュポテト。 こんな感じの構成が多いような印象です。あくまで印象なのですが、ジャガイモに始まってジャガイモに終わる感じです。 ジャガイモがないドイツ料理なんて考えられないほどです。 でも実際のところ、ドイツにジャガイモが定着するには多大な努力と長い年月が必要だったのです。 1. ジャガイモが普及する前のドイツ人の食事 いまやジャガイモがないドイツ料理など考えられませんが、ではジャガイモが普及していない時代、ドイツ人はどのようなものを食べていたのか。 18世紀末の貧民施設の食事はおおよそ以下のような内容でした。 平日
現在からおよそ半世紀前 1974年 第一次石油ショックにより世界中の人々は、 突然、物価の上昇と不況に同時に襲われた。 この問題を解決するため、 アメリカ大統領ジミー・カーターを中心に、日米独の3カ国が協調。 大規模な財政刺激政策を行い、世界経済を回復させようとした。 しかしわずか5年後の1979年、 第二次石油ショックにより再び不況に突入。 日本は単独で大規模な財政拡張計画を採用。 その結果、日本はいち早く第二次石油ショックから抜け出したが、 その3年後・・・ 国債残高はGDPの35.3%まで膨れ上がることになった。 しかし日本以外の先進国、 特にアメリカは、70年代から続くスタグフレーション、 激しい不況とインフレに苦しんでいた。 「日本の平成バブル景気」編 登場人物の紹介 本編が始まる前に、最初に日本のバブルに関わった人たちを簡単に紹介していきますぺぺ。 その1:汚職発覚でツライ目に
泣く子も黙る恐ろしい海賊どもの逸話 映画とか漫画のネタによくなってカッコいいイメージを持たれがちな海賊ですが、 歴史の中の海賊はそんなフィクションの世界とは違って、乱暴狼藉を働く無法者であり、まともな神経の者であれば絶対に近づかない方がいい連中でありました。 フランシス・ドレークとか、ヘンリー・モーガンとか、黒ひげとか、著名な海賊はたくさんいますが、今回は当時ガチで恐れられた海賊たちをピックアップします。 1. フランシス・ロロネー スペイン兵の心臓を手でわしづかみにし喰らった男 フランス人の海賊で主に南米を荒らしまわったフランシス・ロロネーは、海賊家業を始めたての頃にスペイン兵に殺されかけたことを異常なほど根に持っており、スペイン兵をぶっ殺し、お宝を分捕ることを生きがいとしていたような男でした。 ロロネー海賊団はベネズエラを拠点にしながらスペイン船を襲い、次第に組織を拡大し8隻の船と数百
こんにちは。ヨッピーです。突然ですが皆さんは「ヤマハのコピペ」をご存じでしょうか。 ヤマハの歴史 ・最初は輸入ピアノの修理→楽器関係作る ・楽器やってた流れで電子楽器も作る→DSPも作る ・DSPを他に利用しようとして→ルーター作る という流れで、楽器、電子機器、ネットワーク関係の製品を作るようになった。 じゃ、なんで発動機や家具とかも作ってるかというと、 ・ピアノの修理で木工のノウハウが溜まる→家具を作る→住宅設備も作る ・戦時中に軍から「家具作ってるんだから木製のプロペラ作れるだろ」といわれて戦闘機のプロペラ作る→ついでにエンジンも作る ・エンジン作ったから→バイクも作る ・エンジン作ったから→船も作る→船体作るのにFRPを作る ・FRPを利用して→ウォータースライダー→ついでにプールも作る ・プールの水濁ったんで→浄水器作る ・失敗作の浄水器で藻が大繁殖→藻の養殖
バーチャルに開かれたエン・ゲディ文書(左)と、科学者がスキャンした炭化した状態の巻物(右)。サイズの比較用に置いてあるのは1セント銅貨。 (PHOTOGRAPH COURTESY SEALES ET AL. SCI. ADV. 2016; 2 : E1601247) 今から1500年前ほどに、死海の西岸にあるオアシスで大火事が起きた。荒れ狂う炎は、何百年も前から栄えていたユダヤ人の街を焼き尽くしたが、シナゴーグと呼ばれる礼拝所の聖櫃は焼け残った。聖櫃の中には動物の皮でできた巻物がおさめられていたが、熱で炭化し、もろくなってしまった。 この巻物は1970年に発見され、エン・ゲディ文書と名付けられた。無理に開こうとすると粉々になってしまうおそれがあるため、イスラエル考古学庁はそのままの状態で何十年も慎重に保管してきた。しかし昨年、科学者チームはこの巻物をスキャンしてバーチャルに「開き」、中に隠
ジャーナリズムの歴史でも特に優れていると名高い雑誌記事の発表から、8月末で70年が過ぎた。記事の見出しはただひと言、「HIROSHIMA」。ジョン・ハーシー氏が書いた3万語にもなる記事は、核兵器による恐怖の全容を戦後の世の中に伝え、大きな衝撃をもたらした。BBCのRadio4編成責任者だったキャロライン・ラファエル氏が、その経緯を振り返る。 私の手元に、1946年8月31日発行の米誌ニューヨーカーがある。表紙のイラストは実に無難で、陽気で無邪気な夏の公園の風景が楽しく描かれている。背表紙ではニューヨークの球団、ジャイアンツとヤンキースの監督が、たばこは「チェスターフィールドで決まり」だと宣伝している。 ニューヨークのタウン情報と映画欄、ダイヤモンドや毛皮、車やクルーズのきらびやかな広告に続いて、編集部からの簡単なお知らせが載っている。そこには、この号全体をたったひとつの記事に充てると書かれ
今回は、オリバー・ストーン氏とピーター・カズニック氏が、 共同でロサンゼルス・タイムズ紙に寄稿した、 「広島への原爆投下は世界を変えたが、戦争を終結させてはいない」 というタイトルの記事からです。 早速ですが、以下が記事の要点になります。 ・ほとんどのアメリカ人は、原爆投下が戦争を終わらせたため、 原爆を使用したことは正当であったと教えられてきた。 この誤った主張は、今でも高校の歴史教科書に記載されている。 ・トルーマン大統領は、広島への原爆投下に狂喜し、 「アメリカの歴史上最も偉大な瞬間だ」と口にした。 しかし、米軍の指導者たちは、彼の熱狂を共有しなかった。 ・ドワイト・アイゼンハワー元大統領、ダグラス・マッカーサー元帥など、 当時の8人の元帥のうち7人が、原爆投下は軍事的に不要であったし、 人道的に非難されるべきものであったと主張している。 ・合衆国陸海軍最高司令官(大統領)付参謀長だ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く