竹原は、中世賀茂(かも)社に属する荘園であったが、近世になると瀬戸内海きっての製塩地として栄え、その経済力を基盤に町人文化が発達した。現在、竹原市内にはそれらのことを示す史跡も多く、中心部には町並(まちな)みが集中的に残存している。 昭和56〜57年度(1981〜1982)、伝統的文化都市環境整備事業の指定都市となったのを契機に、町並み・海・地名にちなんだタケのイメージによる新しい町づくりが進められることとなった。 その一環として、市中心部に孟宗竹(もうそうちく)を植栽した並木道が整備された。JR呉線竹原駅から北へ、国道185号を渡り、市役所へいたる街路がそれである。 孟宗竹は、タケの中では最も大型で、稈(かん)の径10〜20センチ、高さ10メートルにも及ぶが、葉長は4〜8センチと小さく、繊細な感じをも有し、遠近両方かろの観賞に適しているとされる。中国江南地方から渡来したタケであるが、食用
反原発運動は山本七平風に言うと「純粋国家」を求める運動に他ならない。山本七平は夏目漱石の「こころ」の読解から以下のような論旨を導き出す。 日本人には明らかに「純粋国家」という概念がある。個人のもつ基本的な欲望、いわば飲・食・生存といった基本的欲望の充足は、本人の意志を無視する重力の如くに作用すると考えれば、それは、言うまでもなくその個人の集合体である国家にも、その国家の意志を無視する重力の如くに作用するはずである。しかし、純粋人間が、こういう重力=欲望からの無重力状態にあるならば、純粋国家という概念も、この欲望からの無重力状態にあるはずである。第二に、国際間の利害関係および国内におけるさまざまの利害関係の外で培養された「無菌国家」という概念がこれに加わる。さらにこの状態に、何らかの「道」――それが何と呼ばれてもよいし、その内容は全く不明でもよい。何か、たとえば「肇国の精神」「道義国家」「八
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く