世界文化遺産「古都京都の文化財」の構成資産である醍醐寺(だいごじ)と高山寺(こうさんじ)。この名刹(めいさつ)の僧同士が南北朝時代に対談した内容が、詳細な記録として文書に残されていたことが分かった。記録には、災害や病気の流行などに関する雑談も含め、当時の世相が多く盛り込まれており、重要な史料となる。 対談記録は、延文2年(1357年)9月28日から康安2年(1362年)2月3日までの「真友抄(しんゆうしょう)」と、同日から貞治元年(1362年)10月28日までの問答の「梅林折花集(ばいりんせっかしゅう)」の2冊の文書に分かれる。明星大の芳澤元(はじめ)助教が醍醐寺関連の史料を調査した。 醍醐寺の僧・賢西が高山寺の僧を訪ね、対談した内容を賢西が記録している。この時代の僧の記録は法要の手続きなど実務的な内容が多いが、芳澤助教が両文書を精査した結果、仏教に関する本題以外の雑談部分に、当時の世相を
「「御堂関白記」の自筆本複製。子孫が「是者自元ノ筆也」と書き加えている=高橋一徳撮影「御堂関白記」の自筆本複製。子孫が「是者自元ノ筆也」と書き加えている=高橋一徳撮影「御堂関白記」(自筆本複製)の表紙。「裏有信尹公手跡」と書かれている=京都市西京区、高橋一徳撮影 ユネスコの「世界の記憶」(世界記憶遺産)登録に文部科学省が推薦している平安中期の藤原道長の日記「御堂(みどう)関白記(かんぱくき)」自筆本(国宝、陽明文庫蔵)に、道長の子孫が別の先祖の日記を書き加えていたことが、国際日本文化研究センター(日文研、京都市)などの調査でわかった。現存する世界最古の自筆日記「御堂関白記」に道長以外の筆跡があることはほとんど知られていなかった。 調査した倉本一宏・日文研教授(日本古代史)や陽明文庫の名和修・文庫長らによると、書き込みは寛弘5(1008)年秋冬巻の紙の裏にあり、道長の子孫で南北朝期の近衛
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く