人の一生の中で、何れ疎かに致して宜しいといふ時期のあらう筈無く、一生涯を通じて一分一秒と雖も、悉く是れ重んずべき貴重の時間たるには相違無いが、人の生涯をして重からしむると軽からしむるとは、一に其の晩年にある。随分若いうちは、欠点の多かつた人でも、其晩年が正しく美はしければ、其の人の価値は頗る昂つて見えるものである。之に反し、随分若いうちは豪かつた人でも、其晩年が振はなければつまらぬ人物になつて見えるものである。人の一生に取つて晩年ほど大事なものは無い。秀吉も其若い頃に得意とした明快なる決断力を晩年まで持続し得、臨終に近づくに際しても淀君を家康に引き合はせ、「何が何んでも我が死後は家康の命令通り」といふことに遺言して置きさへすれば、如何に驕慢の淀君だからとて、秀吉の遺言に反くほどな理不尽の挙動に出で得ざりしなるべく、能く家康を尊重して其命のまにまに従ひ、豊臣家の安泰を期し得たらうと思はれる。