あなたが1960年代生まれなら、必ず一度はポケットに手を入れて「まさーかりーくさおーです」って言ったことがあるでしょう。 僕は1970年代生まれなのでそんなことを言ったことはありません。それはさておき、そんなあなたに送る苗字の最初の文字と名前の最初の文字を入れ替えてみるコーナーです。
あなたが1960年代生まれなら、必ず一度はポケットに手を入れて「まさーかりーくさおーです」って言ったことがあるでしょう。 僕は1970年代生まれなのでそんなことを言ったことはありません。それはさておき、そんなあなたに送る苗字の最初の文字と名前の最初の文字を入れ替えてみるコーナーです。
夏も終わろうとするある日、数十年来疎遠だった親戚から連絡があった。 「〇子おばさんが亡くなったよ」 僕がショックだったのは、初めて聞いた名前のうえに、40年前に亡くなった父の身寄りが最近まで 生きていたという事実だ。たった一人で身寄りもなく亡くなった叔母は僕のことを知らなかったのか、 知っていても会いたいと思わなかったのか、今となっては知る由もない。 不思議なことに、今まで父の家系にについて深く考えてみたことが一度もなかった。 それは母方の家系が江戸時代まで遡って、しっかり分かっている事や父について語ってくれる人が もう身近にいないのが原因なのかもしれない・・・・・・ どちらにせよ、僕はかなり情に薄い人間なんだろう・・・・・・ 叔母との血縁関係を証明する。 たったそれだけのことが大変だった。 物心ついてから、母が亡くなるまで9回の引越し、阪神大震災も経て現在まで17回、住む所が変わっている
恋人ができると身体の形がかわるからすぐにわかると、そう友人に言われたのはほんとうだと、最近になってわかるようになった。 もともとやせていたはずなのにウェストが細くなり、ちょっときつかったはずのレギンスにすこしだけ余裕ができる。ゆびがすこしだけ柔らかくなり、身体の関節がすこしだけやわらくなる。 いつも三日坊主の、思い出したようなヨガをたくさん思い出すようになったわけではないし、朝に走るのを週1回から週2回に増やしたわけでもないし、食事の量がこれといって減ったわけではないのに。 それでもベルトの穴はふたつ内側になる。 やせているやせていると言われつづけて、えっ? わたしそんなにやせてないよ? と締まらないウェストを見て思っていたのだけど、恋人ができたわたしのウェストをみてやはりと思う。やはり、無駄なものがついていたのだねぇ。 恋人とは電話だけの関係で、毎日のようにきっかりと一時間だけ話す。男性
上の画像を見て思わず笑ってしまった人は、化学的ユーモアのセンスがあるのかもしれません。2つのRuthenium Polypyridine complex(ルテニウムポリピリジン錯体)の動きをNMR(核磁気共鳴分光法)分析したものなのですが、これが世界中の研究室や教室で笑いを呼んでいる模様。一体何に見えるというのでしょうか? この「ルテニウムポリピリジン錯体」は声に出しても特に面白いということはないのですが、世の中には聞くとちょっと笑ってしまうようなユニークな名前の化合物が多々あるようです。今回はその一部をご紹介します。 詳細は以下から。Arsole and penguinone - chemistry gets funny | thelondonpaper.com List of chemical compounds with unusual names - Wikipedia, the
オリジナル⇒首相「金ないのに結婚するな」 : 動画 - 47NEWS (よんななニュース) オリジナルが出るなら推論するまでもなかったけど、まあ、私の推論はこうなっていた。 その前に原則 全体のコンテクスト(文脈)を理解する。(1)問いに答えている、(2)若者に人生経験者が結婚を説いている。 「(2)若者に人生経験者が結婚を説いている」の話題は何か? 尊敬ということ。 話者のポジションを理解する。(麻生さんはカトリック信者だ) 具体的なディテールは原典に近い 矛盾する言明にはそれを解くロジックが隠れている。ここでは、「金がねえなら結婚しない方がいい」と「人それぞれだからうかつには言えない」は矛盾している。 テキストはこう 朝日(参照) ---「若者に結婚するだけのお金がないから結婚が進まず少子化になるのではないか」 「金がねえなら結婚しない方がいい、おれもそう思う。うかつにそんなことしない
遥かな過去の上に立つ 芥川賞を受賞して 磯崎憲一郎2009年8月4日 はっきりとは憶(おぼ)えていないのだが、私が芥川賞という名前を初めて知ったのは北杜夫さんと遠藤周作さんの対談の中で、だったと思う。いまから三十年以上昔の話だ。北さんの『船乗りクプクプの冒険』を一冊読んだだけで、「この人の書く小説はきっとどれも面白いに違いない」と確信した、まだ中学校に上がったばかりの私は、当時新潮文庫と中公文庫から出ていた北さんの小説を片っ端から、憑(つ)かれたように読み進んでいった。小説やエッセイを一通り読んでしまうと今度は、これも当時は文庫で出ていた遠藤さんと北さんの対談集「狐狸庵(こりあん)VSマンボウ」シリーズを読むようになった。このシリーズでの二人の役回りは毎回ほぼ決まっていて、遠藤さんは社交的で、演劇でもダンスでも合唱でも何でも器用にこなす、女性にももてる、対して北さんは日がな一日パジャマで過
今日、太平洋戦争の激戦地、硫黄島の皆既日食中継から帰ってきた。硫黄島は、今なお各所に戦車や大砲の残骸、壕が残り、1万人以上の遺骨が眠るすさまじい島。栗林中将の執務室のある壕にも入った。身を狭めても通れない程の穴が地下に向かって延び、次第に蒸し暑さが増し、もう地上に戻れないのではないかと恐怖感すら覚える。言い古された言葉だがまさに地獄。よくぞこんなところに潜み戦ったものだ。 何の因縁か、その硫黄島が今回の皆既日食観測のベスト地点とわかり、国立天文台のチームのお世話になりつつ、自衛隊機で島に向かい、生中継にのぞむことになった。NHKスタッフは僕を入れてわずかに4人。重量や人数制限でこの数に絞り込んだのだが、通常あり得ないわずかな人数。装置とスタッフの不足で、東京からの映像の送り返しも見えず、コーディネーションの声も聞き取りにくい環境での中継だった。そして空からは突如スコールが降り、生放送の直前
豊岡がホテルから駆け出してきた時嫌な予感がしたんだ。 部屋に急ぐ途中、ホテルのロビーに丁度ドクターと義理の息子がいたから全てが上手くいった。 部屋に行くとベッドで苦しむ姿を見て何にもしてやれない自分が悔く時間が止まって感じた。救急車よ早くと心の叫びが続く。 到着後、言葉の問題があるから病院には来なくてもいい、貴方が居なければ選手は上手く走ないぞ、だから私達に任せてレースに専念しなさいと言い残し医者は娘を連れて病院に向かった。大丈夫なのか考えれば考えるほど寝ない、心配の極地が帰国まで続き選手に悟られまいとから元気だったが食事は喉を通らない、やせ我慢が続く。 夜中何度も車で砂漠の中を往復する娘は、病院の状況と宇田の状態を連絡してくれる。翌々考えれば中東の砂漠の都市で自分達に何が出来るんだ、この時の娘の存在は大きかった。娘の交友関係でマダムが動いてくれた。もしマダムが居なかったら病院も飛行機も最
河野義行さん手記全文 2009年06月21日 02:02 河野義行さんが共同通信に寄せた手記全文は次の通り。 事件からまもなく15年を迎える。私の中では昨年、妻が事件発生と同時に心肺停止し、14年間意識が戻ることなく旅立っていったことで、松本サリン事件は終わりを告げた。 この15年間、理不尽な体験を踏まえ、犯罪被害者救済の不備を法廷や講演会で訴え、冤罪被害者の支援を重ねるなど様々な社会問題に関わってきた。その事により、被害者支援の必要性が認識されたり、冤罪被害者の無実が証明されたりするきっかけを作る事ができたと思う。 そうした中で、最も重要な課題があった。妻の回復であった。時間の許す限り意識の戻らない妻のもとに通い、励まし続けてきたが、医師からはいつ心臓が止まっても不思議ではない状況であることを何度となく聞かされていた。難しい状況であるだけに、14年の間、大きな不安が私を捉えていた
帰りの電車のなかでおかしな男に絡まれた。きっかけは、閉まりかけのドアにわたしが飛び込んだことだ。むりに入ったので、閉まるときに、ひじのあたりががつんとドアにぶつかった。すると、近くにいた土木作業員風の若い男(坊主頭、ピアス)がわたしに向かって、「迷惑なんだよ、オイ」「オマエみたいな奴がいるとむかつくんだよ」と悪態をつきはじめた。もとはといえばわたしが悪いのだが、ややこしいことになった。 しばらく無視をしていたが、「聞こえてるんだろう、テメー」「オイ、このやろう」などと言い続けるので、しかたなく急いで別の車両に移動した。もう、まいったなあ。ところが、移動したとなりの車両でしばらく立っていると、あろうことか、そいつもわたしを追ってくるではないか。どうしていいかわからない。男は「逃げんじゃねえ、オイ、テメー」と因縁をつけてくる。うーん、ややこしすぎる。しばらくうしろを向いて立っていたが、さすがに
【ソウル=水沼啓子】盧武鉉前大統領が23日朝、自宅を出る30分前にパソコンにA4版用紙1枚分の短い遺書を残していたことが分かった。地元警察が公表した遺書の全文は次の通り。 あまりにも多くの人たちのお世話になった。 わたしのために多くの人が受けた苦痛はとても大きい。 これから受ける苦痛も推し量ることができない。 余生も他人の荷物となるしかない。 健康が良くないので何もすることができない。 本を読むことも、文章を書くこともできない。 あまり悲しむな。 生と死はすべて自然の一部ではないか。 すまないと思うな。 誰も恨むな。 運命だ。 火葬にしてくれ。 そして家の近くに、ごく小さな石碑を1つだけ残してくれ。 長く考えた末の考えだ。
岩田先生はその資質・ご活躍からお若くして神戸大学の教授になられ、現在は若手医師や学生さんを育てていらっしゃいます。 その岩田先生には多彩な過去(?)があり、2001年の炭疽菌騒ぎやナインイレブンのときはニューヨークにいて、2004年には北京のクリニックで働いているときにSARSを経験されました。 その岩田先生が研修医向けに解説をされた文書が公開されました。 転載や利用は自由とのことです。職員向けの資料になるとおもいます。 感染症診療の基本を大切にしましょう~ですね。全体の感染症コンシャス度をあげるチャンスだともいえます。早めにできることをやっておきましょう。 ※読みやすいように編集部で改行スペースを入れていますが文章はそのままです。 ---------------------(引用ここから)----------------------- Source:IDATEN Mailing List
◇35周年--音楽が面白くなってきた <デビュー35周年記念のアルバム「GOD」(ユニバーサルミュージック)。同名の新曲はポップなリズムで「あいつの名前はGOD(ジーオーディー)/人間どもを作りあげた/戦争と平和のいたちごっこ/チンケなゲームを続けてる」と歌う> 前のアルバムが「KING」だったから、今度は「GOD」(笑い)。最初からメロディーは大体あった。曲作りには、とっかかりの言葉みたいなものがあるんです。「あいつの名前はGOD(ジーオーディー)」って歌詞が出てきた時、この曲はもう90%完成したなという感じだった。 35年ってあっという間ですね。あっという間。18歳でデビューしましたけど、そのころは、まあ普通に考えて30歳ぐらいになったらもうちょっとロックはできないんじゃない、という感じだった。で、30歳ぐらいになると「まあ40歳ぐらいかな」と。でも「40でロックはないよなぁ」っ
Iran considering sending humans to space, minister says
自転車置場の議論 人が集まると、なぜかどうでもいいようなことほど議論が紛糾してしまう傾向がありますが、このような現象のことを、FreeBSD のコミュニティでは自転車置場の議論 (bikeshed discussion) と呼んでいることを知りました。 この、「瑣末なことほど議論が紛糾する現象」はパーキンソンの法則という本の「議題の一項目の審議に要する時間は、その項目についての支出の額に反比例する」という法則として知られています。 この本の中で著者は、原子炉の建設のような莫大な予算のかかる議題については誰も理解できないためにあっさり承認が通る一方で、市庁舎の自転車置場の屋根の費用や、果ては福祉委員会の会合の茶菓となると、誰もが口をはさみ始めて議論が延々と紛糾するというストーリーを紹介しています。 このように、「瑣末なことほど議論が紛糾する現象」はパーキンソン氏によって見事に説明されているの
南部氏、結婚祝いの色紙に「対称性は破れる運命に」2008年10月8日18時17分印刷ソーシャルブックマーク 「対称性は破れる運命にある」と英語で書いた南部さん直筆の色紙南部さんが色紙の包み紙に書いた日本語訳 ノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎さんは、近所づきあいで親しくなった女性の長男の結婚祝いに、「対称性は破れる運命にある」と自分で書いた色紙を贈っていた。女性は意味をつかみかねていたが、今回の受賞で初めて納得した。 南部さん夫妻の留守宅は大阪府豊中市にある。帰国時に一緒に花見へ出かけるなど親しく近所づき合いをしている林靖子さん(65)は8日朝、数年前に長男が結婚した際に書いてもらった色紙をたんすの引き出しにしまい込んでいたのを思い出した。 英語でつづられており、南部さんに頼んで包み紙に書いてもらった日本語訳は「対称性は破れる運命にある」とあった。「慶事なのに『破れ』って何だろう」と思っ
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