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支援に関するtypicaのブックマーク (2)

  • 「子育て支援」の境界を崩す - 泣きやむまで 泣くといい

    ・障害児の親の会と学生たちで行う活動のおつかれさま会。参加が合計40人ちょっとか。 ・おそらくこの種の活動は廃れていく。それは活動の意義がなくなったということではない。ただ、意義を感じにくい時代になっていくだろう、ということ。 ・この活動のファンである保護者は減っていくはず。何もなかった時代には支援とつながるはじめの一歩だった。いまは一歩目になることに失敗している。それを防ぐための手立てはあるのだけれど、危機感自体が皆に共有されない。だから、何の工夫もされない。 ・すでに消極的と思われる保護者がちらほら。親の会役員になっちゃったから、仕方なく。わが子への価値が伝わってこないものから親は離れる。それだけのこと。伝える努力をしなければ、なおさら。 ・夕方のスーパーでカゴを持ったまま、保護者につかまる。まだ若い保護者も、もっと若い保護者とのギャップを感じている。昔から、同じ構図。同じだけれど、質

    「子育て支援」の境界を崩す - 泣きやむまで 泣くといい
    typica
    typica 2015/09/21
    “障害児が生き、育まれることに支援が必要なのではなくて、子どもが生き、育まれることに支援が必要な社会。”
  • 力尽きた彼と、逆算しない支援 - 泣きやむまで 泣くといい

    年の瀬も押し迫っていた頃の話。 朝、見知らぬ番号から着信がある。出てみると、以前に自分が支援をしていた子どもの身内だと相手は名乗る。次の言葉が出てくるまでのわずかな時間にも嫌な予感はあった。 子どもが昨日、亡くなったと聞かされる。 言葉を失う。 彼は、進行性の障害をもっていた。 知的障害や自閉症の子どもを主に支援している自分たちであるが、田舎というのはそんなにたくさんの支援者、事業所があるわけではない。どんな障害の子どもでも可能な限りの支援をする。彼は出会ったときからすでに自分で歩くことができなくなっていて、支援の中でいわゆる身体介護の占めるウェイトが重かった。けれど、好奇心が旺盛で、知的な発達にも少しの特性があって、支援者もいっしょになって楽しめることが多い子だった。 だんだんと体を思うように動かせなくなり、頻繁に検査入院を求められたりもするのに、嘆き悲しむ様子を見せない彼が少し不思議だ

    力尽きた彼と、逆算しない支援 - 泣きやむまで 泣くといい
    typica
    typica 2015/04/10
    “残された時間を理由にして与えられるものが変われば、何かが失われる。”
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