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ブックマーク / sogensyooku.hatenablog.com (2)

  • 赤穂城 - sogensyookuのブログ

    赤穂城が現代の形となったのは、正保2年(1645年)、常陸笠間から浅野長直が入封してからである。赤穂城は、慶安元年(1648年)から寛文元年(1661年)まで、完成に13年の歳月が費やされた。甲州流軍学者近藤正純が設計した海岸平城である。 江戸時代の城と塩田の位置 今からは想像もつかないが、江戸時代には、赤穂城の半分は海に囲まれていた。 江戸時代に赤穂城に出入りするには、北側の市街地から、大手門に入るルートしかなかった。 大手門 大手門を入ると三の丸である。入ってすぐに番所があり、そこから曲がりくねった道を通って、大石邸や近藤邸などのある家臣団の住居地区に至ることになる。 海に囲まれていない北側の防備のため、周到に設計されたのが分かる。 右の白壁の塀が大石邸跡、奥に近藤邸長屋門が見える。 大石邸跡から望む二の丸石垣 そこを通過すると、二の丸に入る。二の丸門は今はない。二の丸門跡の近くに、赤

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    A---chan
    A---chan 2019/07/08
    赤穂城に行った事ないけど見どころはありそう^^
  • 赤穂 尾崎地区 - sogensyookuのブログ

    坂越から赤穂御崎方面に走ると、赤穂市立美術工芸館田淵記念館がある。 赤穂は、製塩で有名である。江戸時代に赤穂で塩田経営、塩問屋、塩廻船業で財を成したのが、田淵家である。 田淵家は、最盛期の文化文政年間(1804~1830年)には、約106町歩の塩田を有し、当時日最大の塩田地主であった。 歴代田淵家当主は、茶の湯を嗜み、田淵家の屋敷と庭園は、茶趣のもとに造営されている。田淵家庭園は、平成18年5月に国指定名勝となった。 田淵家の屋敷 田淵家庭園は、毎年11月に一般公開される。私が訪れた日は、拝観することができなかった。外から屋敷周りを見たが、広壮な邸宅である。 田淵家は、平成6年に所蔵する茶道具などの美術品や古文書を赤穂市に寄贈した。それらの品を展示する施設として、平成9年に田淵記念館が開館した。 赤穂市立美術工芸館田淵記念館 田淵記念館は、田淵邸の南隣に建っている。私が訪れた時は休館日で

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    A---chan
    A---chan 2019/07/05
    赤穂と聞くと、忠臣蔵のイメージがどうしても強いですよね・・^^
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