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ブックマーク / hankinren.hatenadiary.org (7)

  • 友達の詩  ― マンコがマンコに恋をする理由 ― 二村ヒトシ監督 - 歌餓鬼抄

    手を繋ぐくらいでいい 並んで歩くくらいでいい それすら危ういから 大切な人は友達くらいでいい 「友達の詩」中村中 マンコがマンコにって・・・ちょいと口に出せないタイトルですが(出すけどね)、そのまんまレズ物AVです。 私生活において仲の良い「友達」で松野ゆいと森下くるみ(以下敬称略)のドラマ部分である「虚」とインタビュー&トーク「実」が混ざり合っています。AV女優生活10年のベテランながら清廉さを保ち続けている「聖なるAV女優」森下くるみに、友情以上の感情を抱く松野ゆい。D−1のオーディションでも感じたけど、無防備な真っ直ぐさ故に脆さも垣間見えるけれども、凛とした「オトコマエ」女優の松野ゆい。信じられないぐらいの色白美肌とたっぷりと潤いを含んだ唇にうっとり見惚れてしまう。 最初にこの作品を観て、私は冒頭のインタビューから泣きっぱなしだった。ヌいたけど(4回)その間もずっと涙がこぼれていた。

    友達の詩  ― マンコがマンコに恋をする理由 ― 二村ヒトシ監督 - 歌餓鬼抄
  •  恋することのもどかしさ - 花房観音  「歌餓鬼抄」

    まず何らかのきっかけやお互いの好奇心でセックスをして、そこで情が湧いて恋心のようなものが芽生えるということが大概のわたくしの恋愛パターン。いわゆる「カラダから始まる恋」ってヤツでしょうか。だから「この人のこと、好きだなぁ」と思い始める時には既にセックスはしているのであった。 カラダから始まる恋は最初から触れ合うことに距離がないから躊躇うこともなく手が伸びる、口が近づく、肌の感触を知っている。 だから、そういうパターンじゃない恋に落ちた時に、とてもとてももどかしい。触れたことのない人に触れたいと思って、そのきっかけを探すことがどうにもこうにも難しい。そう思うと「カラダから始まる恋」というヤツはもしかしてすごく楽なんじゃねぇか。もしかしたら私しゃ、随分と楽なとこに逃げ込んでいたのかしら。 好きなのに、触れたことが無くて、とても触れたいと思って切々となることがもどかしい。目の前にいるのに、私はあ

     恋することのもどかしさ - 花房観音  「歌餓鬼抄」
    A13
    A13 2008/02/03
  •  恋ニ酔ヒ、愛ニ死ス ―「らも 中島らもとの35年」 中島美代子・著 ― - 花房観音  「歌餓鬼抄」

    「中島らもが、死んだ」 平行線のままのどうしようもなく暗い話の最中、ふいに電話の向こうの男がそう言った。 電話の相手は、私が19歳の時に出会った私の初めての男。私はその頃、彼に貸す為に借りたサラ金の返済がどうにもならなくなり、全てが親にバレて実家に戻って罪悪感と自分自身の愚かさと未来の見えなさでグチャグチャになっていた。それでも何とか金を少しでも返して貰えないだろうかと知人を通じて彼に交渉していた。直接話すと私は「負けて」しまうから知人に間に入って貰ったのだ。 知人から連絡が来た彼は逆ギレして私に電話をかけてきた。「返して」「無いものは返せない、それに俺はお前の欲しいものを与えてやってたじゃないか」何十回も繰り返したどうしようもないやりとりにお互いうんざりし疲れてしまい沈黙が訪れた。私は泣き疲れ怒鳴り疲れていた。その沈黙を破り、ふいに彼が中島らもの死を告げたのだ。 彼は一時期、小説家になる

     恋ニ酔ヒ、愛ニ死ス ―「らも 中島らもとの35年」 中島美代子・著 ― - 花房観音  「歌餓鬼抄」
    A13
    A13 2007/09/02
  •  AV女優・森下くるみ『すべては「裸になる」から始まって』 - 花房観音  「歌餓鬼抄」

    画面の向こうで裸になり、セックスをする女達。彼女達の仕事は、「AV女優」。 私はAVを見る。「男の欲望」の為に作られたアダルトビデオを見る女だ。誰かに頼まれて見ているわけでもない。仕事で見ているわけでもない。自分の意思で見ている。お金を出して購入し、アダルトビデオを見ている。 女がAVに何を求めるか、何を見ているか。それは人それぞれだろう。男優に欲情しながら見ている人もいるだろう。性的幻想を映像化する創り手である監督に焦がれて見る人もいるだろう。女優に自分を投影して見る人もいるだろう。ただただ、そこで繰り広げられる性の世界に羨望しながら見る人もいるだろう。 女がAVを見ているというと、女優に自分を投影して男優に「AVのようなことをされたい」から見ているのだろうと捉えられて戸惑うことがある。それを否定はしないけれども、私はどちらかというと男優になり、女優とセックスしたいという欲望の方が強い。

     AV女優・森下くるみ『すべては「裸になる」から始まって』 - 花房観音  「歌餓鬼抄」
  • 月夜の孤独 - 花房観音  「歌餓鬼抄」

    将来とか、世間とか、そんなことはもう考えられなくて、ただ心がその人の存在で溢れそうなほど満ちて、胸がかきむしられるように切ない夜がある。 別々の人間である限り、どんなに抱き合っても相手を手に入れることなど出来やしなくて、それでも求めずにはいられなくて、幸福と絶望で魂が浮遊する夜がある。 月を見ても、星を見ても、ただ切なくて、その人の存在だけが愛おしい夜。 ただ、あなたが欲しい。ただ、あなただけが。今私の欲しいものは、あなただけだ。 そんな時だけ神様の存在を信じられることが出来る。あの人をこの世に生み出してくれて、私も同じ世界に生み出してくれてありがとうございます、と。そしてあの人に出会わせてくれてありがとうございます、と。 身も心も焼き尽くすような想いを抱えて夜を彷徨う。ここにはあなたが居ないことは知っているけれども、それでも探さずにはいられない。私の側ではなくても、あなたは確かにこの世界

    月夜の孤独 - 花房観音  「歌餓鬼抄」
  • 藩金蓮の「アダルトビデオ調教日記」 - うんざりするような優しさで

    以前、SMクラブに面接に行ったことがある。その頃私は、SMの真似事で、ある男の奴隷になっていた。 奴隷の真似事は何度かやってみたが、いつもどこか頭が冷めていた部分があることを自覚していたので、自分はマゾのつもりなんだが当はそうじゃないような気もしていたし試しに女王様でもやってみようかと思ったのだ。勿論、お金の為というのが一番だったけれども。 そして結局女王様にはなれなかった。歓楽街の中のごく普通のマンションの一室で、ご主人様に貰ったマニア雑誌で見つけた広告に出ていたSMクラブに電話をかけて、そこのママに「面接」をしていただいていろいろ身の上話をしているうちに私はボロボロ泣いていた。 男に言われるままに金を貸し続けてサラ金地獄に陥っていると、その当時は恥ずかしくて誰にも言えなかった話をするとママは私に、 「優しいのね。」 と、言った。 そう言われて私は、その時初めて会った「女王様」の前で、

    藩金蓮の「アダルトビデオ調教日記」 - うんざりするような優しさで
  • 巷に雨の降る如く - 花房観音  「歌餓鬼抄」

    巷に雨の降る如く 我が心にも涙降る かくも心に滲みいる この悲しみは何ならん P・ヴェルレーヌ 「雨」という映画がある。あるいは「雨の欲情」。原作はサマセット・モーム。舞台は雨季の太平洋の島。そこにやってきたジョーン・クロフォード(マレーネ・ディートリッヒいわく、ギョロ眼の醜い女。そういうディートリッヒは、三島由紀夫に西洋版おかめ呼ばわりされてるが)演じる娼婦、それに群がる男達、それを非難する敬虔な牧師夫婦。しかし牧師は神の名において、性の快楽に溺れる享楽的な男達と娼婦を更正させようとする。一度は更正して神の御子となったかのような娼婦。しかし、降り続く雨と、祭祀的な太鼓の音の中、最後には、牧師も娼婦の誘惑に陥落され、己の性欲に負けた絶望で海に身を投げ命を絶つ。 私には血の繋がった兄や姉はいない。しかし、兄のような人が一人いた。19歳の時に出会った三つ上のその人は、私に仕事を教えてくれた人で

    巷に雨の降る如く - 花房観音  「歌餓鬼抄」
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