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communicationとblogに関するA13のブックマーク (5)

  • もうコメント欄を承認制にしますよ。みなさんもそうしたほうがいいですよ。: 極東ブログ

    ブログの運営のことでこれだけ悩んだのは久しぶり。いろいろ悩んだけどね。もうコメント欄を承認制にしますよ。みなさんもそうしたほうがいいですよ。ということにしました。 承認制というのは、コメントを書き込まれてもすぐには反映されないということです。私が判断して、これはないんじゃないかなというコメントはブログに反映しません。せっかく書いていただいたコメントも、私の承認がないかぎり、コメント欄に表示されないことになります。「死ね」と書かれたコメントは表示の承認をしません。みなさんからいただいたコメントを表示するかしないかは私が責任をもって決めます。 そして、もう一つ。ブログを持っているみなさんも、これから持とうとしているみなさんも、コメント欄を承認制にしたほうがいいですよ、とお勧めします。 「でも私の使っているブログじゃできません。はてなダイアリーにはそんな機能がないんです」という場合は、そんなブロ

  • 愛されるプロフィールの書き方 - ココロ社 ♪ほのぼの四次元ブログ♪

    先日、プロフィール写真についての記事を扱いましたが、それに続いてプロフィールの書き方についての考察をしてみようと思います。 今回は「悪い例」を見ながら学んでいくという形式にするので、途中、読むに耐えない表現などがあると思いますが、我慢して読み進めていただければと思います。そもそも、人生なんて苦痛の連続でしかないわけですから、このくらいでへこたれていてはいけませんよ! また、この考察は、ネット上のプロフィールだけでなく、会社での自己紹介などでも応用可能なので、ご一読いただければ幸いです。 覚えてもらうまでがプロフィールです まず、大前提ですが、プロフィールとは、来訪者に自分を印象づけるために書くものです。適切なプロフィールを書くと、あなたに好感を持ってもらえ、その結果、ブログの固定客が増えたり、(粘液的な意味での)出会いがあったりしますし、逆に、自分の書きたいように書いた結果、読者への配慮の

    愛されるプロフィールの書き方 - ココロ社 ♪ほのぼの四次元ブログ♪
  • あなたの記事がだれかを傷つけても削除しなくていい、いくつかの理由

    個人的な覚書として書こうと思う。 このメモの対象として考えているのは、いきなりはてブのホットエントリにあがって、 そこで地味にやってきたときは考えもしなかったような反応を受けて戸惑ってるような人。 「はてな」なりその他のネットでいろんな「いざこざ」を体験してきてる人は、 自分なりの方法論があると思うけど、そんな方法論はもちあわせてないよ、という人。 「あんたのせいで傷ついた」とかショックをうけたとか、謝れとか、 やめろとか、謝罪しろとか、死ねばいいのにとか、まあその他もろもろの理不尽な反応があって、 「このブログのせいでそんな気持ちになるんだったら申し訳なかった」 とか 「このブログを削除したって別にかまわないしなぁ」とかそんなことを考えてしまう人。 最終的な結論を出すのはブログの持ち主なのだけど、私としては「削除」はしないことを勧める。 基的には、削除するくらいなら最低一ヶ月は放置する

    あなたの記事がだれかを傷つけても削除しなくていい、いくつかの理由
  • 匿名の理論価格(下) - マーケットの馬車馬

    さて、前回は、匿名と実名の問題は実はオプション理論で考えられる、という話をしたわけですが、今回は題である「匿名と実名の価値はどう変化して、いつ実名が有利になるのか」を考えていきましょう。 匿名の価値を決める3要素 前回書いたとおり、上の図の灰色の曲線こそが匿名の「真の価値」なのですが、これは3つの要素で決まってきます。 1.ブログの評判 これは当たり前ですね。評判が上がれば上がるほど、灰色の線は上昇しています。そして、評判が下がっても灰色の線はマイナスになりません(あなた個人は損をしない)。これは前回説明したとおり、匿名ならトンズラこけるからであります。 2.評判のぶれの大きさ ここが題です。ブログで朝顔の観察日記を書くと考えましょう。この場合、あなたが何を書こうが、ブログの評判は多分上がりもしなければ下がりもしません。このとき、匿名で書くことに意味はさほどありません。匿名のメリットは

    匿名の理論価格(下) - マーケットの馬車馬
  • 批判とか論争とか罵倒とか - finalventの日記

    あまりする気はない。私はもう枯れてしまったのと、なんというかそういうものの地獄に疲れたかなというのはある。なにが一番悲惨かというと無益な点だ。 あと優れた論者がネットの議論に強いわけではない。ディベートが現実の問題解決に役立たないことが多いのと似ている。 基的にイデオロギーが対立している場合は、譲歩はないのだし、そういう場での議論が好きな人間は最初から勝つ気でいる。そして勝つと決めた人間はなんだってやるのだ。そんなやつに勝てるわけないじゃないか。 私は議論は常に負けることを想定している。私の考えは正しくないかもしれないし、それが明らかになるのを自分が認める地点を残しておきたい。というか、私なんていう人間は社会的には芥子粒のようなもので、キーキー言う意味はない。あるいは私に意味があるとすればそういうことではない。 私はネットというのは昨今のメディアで言われているような意味では匿名ではありえ

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