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ロシアと歴史に関するAKIMOTOのブックマーク (3)

  • 極東共和国 - Wikipedia

    チタで発行された極東共和国の切手 1919年に「革命軍によって囚われたチェコ軍団を救出する」という大義名分のもと、実際は社会主義政権打倒を目的としたシベリア出兵が開始され、特にその中核である日軍がバイカル湖西岸までにいたるシベリア鉄道沿線を中心とするロシア極東地域を占領。しかし日が支持した白軍の主力たるコルチャーク軍が1920年1月、赤軍ならびにパルチザンの攻勢により瓦解すると、アメリカの圧力等も加わり日政府の態度は動揺を始め、シベリアからの撤退も検討されはじめた。 他方、ソビエト政権は国内行政機構および経済機構の混乱のため、ならびにポーランドとの間に高まりつつある戦争の脅威のため、日との直接対決を避ける必要があった。また辺境地帯に対する自治または独立の承認(例えば、ポーランド、バルト三国、フィンランド、ベッサラビア等)は、ボリシェヴィキ政権の政策と実践に硬く根を下ろしていた。 そ

    極東共和国 - Wikipedia
  • Границы России

  • 『死に山 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相』ロシア史上最悪の遭難怪死事件に挑む - HONZ

    一般に、は読めば読むほど物知りになれると思われがちだが、実際は逆だ。読めば読むほど、世の中はこんなにも知らないことであふれているのかと思い知らされる。その繰り返しが読書だ。 「ディアトロフ峠事件」をぼくはまったく知らなかった。これは冷戦下のソヴィエトで起きた未解決事件である。 1959年1月23日、ウラル工科大学の学生とOBら9名のグループが、ウラル山脈北部の山に登るため、エカテリンブルク(ソ連時代はスヴェルドロフスク)を出発した。 男性7名、女性2名からなるグループは、全員が長距離スキーや登山の経験者で、トレッキング第二級の資格を持っていた。彼らは当時のソ連でトレッカーの最高資格となる第三級を獲得するために、困難なルートを選んでいた。資格認定の条件は過酷なものだったが、第三級を得られれば「スポーツ・マスター」として人を指導することができる。彼らはこの資格がどうしても欲しかったのだ。 事

    『死に山 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相』ロシア史上最悪の遭難怪死事件に挑む - HONZ
    AKIMOTO
    AKIMOTO 2018/09/07
    面白そう(たぶん読まないが)
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