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歴史と朝鮮に関するAKIMOTOのブックマーク (2)

  • 外交官「王妃殺した」と手紙に 126年前の閔妃暗殺事件で新資料:朝日新聞デジタル

    126年前の1895(明治28)年10月8日、日の軍人らが朝鮮王妃を殺害した「閔妃(ミンビ)暗殺事件」で、実行グループの一員だった外交官が、事件翌日に郷里の親友に宛てたとみられる書簡が見つかった。「自分たちが王妃を殺した」と経緯が詳しく記されており、研究者は「事件の詳細を解き明かす貴重な資料」としている。 書簡の差出人は、現地の領事官補だった堀口九万一(くまいち)(1865~1945)。郷里、新潟県中通村(現・長岡市)の親友で漢学者の武石貞松に宛てた、1894年11月17日付から事件直後の95年10月18日付の計8通が見つかった。 名古屋市に住む切手や印紙の研究家、日系米国人スティーブ長谷川さん(77)が古物市場で入手し、「朝鮮王妃殺害と日人」の著書がある歴史家、金文子(キムムンジャ)さんが毛筆の崩し字を判読した。手紙がもともと保管されていたとされる場所や記されていた内容、消印、封書の

    外交官「王妃殺した」と手紙に 126年前の閔妃暗殺事件で新資料:朝日新聞デジタル
  • 測雨器 - Wikipedia

    釜山にある蔣英実科学公園に設置されている測雨器のレプリカ。 測雨器(そくうき、朝鮮語: 측우기、チュグギ)とは、15世紀中ごろに李氏朝鮮において発明された雨量計。史料に残る標準雨量計としては最古のものとされる[1]。シンプルな円筒型の器に雨水を溜め、水の深さを物差しで直接測って記録する。朝鮮全土に設置され、厳格な制度に則って降雨量測定に用いられた。測雨器による観測は1442年に始まり、戦乱による長期の中断を挟みながらも数世紀にわたって継続したが、朝鮮王朝の終焉とともに途絶え、近代的な気象観測制度に取って代わられた[2]。 2010年時点で現存する測雨器は、韓国の宝物第561号に指定されている錦営測雨器(금영측우기、1837年製作)のみである。かつて忠清南道公州観察司に設置されていたもので、「錦営」とは道観司が起居していた庁舎を指す。そのほか、測雨器の台石である測雨台(측우대、チュグデ)が数

    測雨器 - Wikipedia
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