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ブックマーク / finalvent.hatenadiary.org (2)

  • それでも過ぎ去ったもの - finalventの日記

    遠い日の失恋の痛みのようなものは、まったくなくなったというわけではないが、なんというのか、その過去から別の未来としての今などはありえないということだけは、心底理解できるようになった。 『多崎つくる』で、つくるがクロ(エリ)と会話するシーンのなかで、過去に彼女の愛を受け入れることができたと思いつつ、それがいずれ破綻することも理解しているが、あの感覚はわかる。 若い日に愛し合っていたように思えても、そこから何十年か生きて、己の正体のようなもの(「罪」と言ってもよいのだろう)を見つめると、その愛のようなものが開花することはなかっただろうと納得する。 この人生しか生きられなかった。この愛しかなかった。それが自分の全てだったというのは、なんというのか、そのままに神の言葉のように受け入れることはできる。 と、同時に。私を捨てていった人たち(私が主観的にそう思うだけではあるんだけどと自覚はしているが)が

    それでも過ぎ去ったもの - finalventの日記
    ARUE
    ARUE 2013/06/13
    生きて行けば、自分を見出していけば、その傷は傷ではなく、今のありかたの恩寵のひとつに思えてくる。
  • 50年生きてみると - finalventの日記

    生きているもんだという驚愕感がある。 私は20歳まで生きられないなと思っていた。ティーンエージで自殺してもなんら不思議でもなかった。ただ、50歳まで生きて見ると、そうでもない、いわく言い難いものが自分を守っていたとしか思えないものがあると思うようになった。スピリチュアルになってしまうのもどうかと思うけど、今どれほど生きづらい人でも今気がつかない大きな力のようなものをいつか感じる可能性はあると思う。 邱永漢も言っていたが、青春で無謀な人生を選んでも、身体は50歳までは生きられるがそのあたりで死ぬ。むちゃくちゃやっても50歳まで生きられるという人生もあるのだろう。下天とはそういうものなのでしょうね。信長も謙信も50歳で終わりと思って生きていたいようだし。 無謀な人生というのは、意外とテンプレで、飲む・打つ・買う、つまり酒、賭け事、女。それと加えるなら自意識過剰。 自意識過大というか自分の才能に

    50年生きてみると - finalventの日記
    ARUE
    ARUE 2011/01/09
    非モテとかいう人は実はけっこう守られているというか進化論的な有利があるのだなと個人的には思う
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