表現の結果として生じた問題性や特定の表現そのものが孕んでいる問題性を批判するのではなく、ある特定のイデオロギーを持つ人たちが言論を語る機会そのものを否定・排斥・排除しようとする考えの是認って、それって差別とどう違うんです? ドワンゴも在特会も“この有料チャンネル開設によって”法律を破ったワケでもないし、まして在特会のある言動がヘイトスピーチ認定されたからと、その全てがイリーガルな存在であるワケでもないのは暴対法と暴力団の存在を鑑みれば判別できるハズ。 もしこの件で批判すべき点があるならば、「日本がヘイトスピーチ規制をちゃんとしないから、こういう事態が起きるんだ」じゃないのかな? ある特定の言動を批判する事と、ある特定の言動を排他・排斥するのは全く別の事で、前者は反レイシズムやカウンター行為を是認する言論足りうるが、後者はヘイトと相対性を持った無自覚な差別主義的発想の萌芽に過ぎない。