「東経135度線上の友人」-。竹下登首相(当時)がオーストラリアを公式訪問した1988年頃、オーストラリアが日本との関係を強めようと使っていたキャッチコピーだ。オーストラリアは当時、すでに「白豪主義」と呼ばれた白人優先政策をやめ、多文化、多民族国家へと舵(かじ)を切っていたが、他のアジア諸国とは所得水準も異なり、溶け込むのは容易ではなかった。それだけに、最大の貿易相手国でもあった日本との関係強化を重視したのは、当然の流れだった。(フジサンケイビジネスアイ) それから四半世紀。オーストラリアは、各国からの移民受け入れを進めた結果、中国やベトナム、インドなどアジア各国からの移民が流入した。さらにアジア研究にも力を入れることで、オーストラリアはアジアの一員としての現在の地位を確固たるものにしたといっても過言ではない。 さらに、オーストラリア経済を支える鉄鉱石や石炭など天然資源の最大の受け入れ先は