時代は1959年に飛び、日本でのIOC総会の開催が目前に迫っていました。スピーチを依頼していた外交官の北原が運動会のリレーで転倒し、足を骨折したために交代を余儀なくされてしまいます。 そこで田畑が目を付けたのは、あの治五郎の最期をみとった平沢和重でした。平沢は当時外交官を辞め、NHKの解説委員をしていたそうです。 ところがその平沢は、あの治五郎の切なる願いをその耳で聞いたにも関わらず、オリンピックの東京招致には反対だとのたまいます。まだ時期尚早だというのです。 そこで田畑は、ありったけの情熱を傾けて「オリムピック噺」をして聞かせました。クドカンはここ、終戦の1945年から1959年までの活動をこの噺に集約させたのですね。 田畑は終戦直後、嘉納治五郎が作った明治神宮競技場に向かったそうです。そこは既に米軍に接収され、グラウンドには塹壕が掘られていましたが、瓦礫や埃まみれでもはや部屋とも言えな