私淑とは、時空を隔てて、または時空を超えて、師に向かい合うことである。 私淑という言葉は、その対義語である親炙とともに、『孟子』に登場する。 思想家 孟子が寄って立つところであり、彼の「方法」そのものと言っていい。 孔子が没したのが紀元前470年。 孟子の生年は不詳だが、紀元前370年頃と推測される。 二人の間には100年ほどの時間の隔たりがある。 孟子は孔子の弟子ではない。 孔子の教えを直接受けることは、もはやかなわない。 では、孟子にとって孔子とは何か? つながりがあるとすれば、彼らは何によって、どのように「つながって」いるのか? 孟子は、孔子の弟子でないばかりか、「公式」の後継者ですらない。 ただ孔子の孫弟子たちから、孔子の言行を拾い集め、孟子なりにつなぎ合わせただけだとも言える。 だが、ここから、何千年もの間、東アジアに痕跡(それと傷跡)を残した儒教という巨大な流れが始まる。 親炙
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