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ジェンダーに関するAll_Mineのブックマーク (2)

  • 上野千鶴子『女ぎらい』 - charisの美学日誌

    [読書] 上野千鶴子『女ぎらい――ニッポンのミソジニー』(紀伊国屋書店刊、10月16日) 久しぶりの、著者の格的なジェンダー論。興味深い内容なので、一部を紹介してみたい。まずは、「女ぎらい=ミソジニー」というタイトルの意味である。通常、「ミソジニー」は「女性嫌悪」と訳される。ハムレットの科白やボードレールなど、「ミソジニー」を表明した西洋の男性は多い。だが著者は、「ミソジニーの男には、女好きが多い」と言う(p7)。奇妙な逆説のように見えるが、そうではないのだ。著者によれば、きわめて包括的な「女性蔑視」「女性軽視」が、「ミソジニー」の質である。というのも、「いい女や美しい女をものにした男」は、何よりも男の集団の中で高い評価を得るからであり、女はもともと、男たちが評価を競う「獲物」や「客体」であって、「主体」にはなれない低い位置にあったからだ。レヴィ=ストロースによれば、未開社会では、娘は

    上野千鶴子『女ぎらい』 - charisの美学日誌
    All_Mine
    All_Mine 2011/02/18
    「ミソジニー(女性嫌悪)の男には、女好きが多い」という指摘は真剣に考えてみる。
  • 科学と生活のイーハトーヴ » Blog Archive » 私が女性であるということ

    自分が女性であるということを強く意識しはじめたのは、結婚してから、正確には子供を妊娠してからでした。 それまでは、「自分は女性だから損をしている」「得をしている」と考えたことは一度もなく、すべては個人の努力次第で決まると考えていました。 子供を産むまでの経歴をざっと振り返ると、保育園→公立小学校→私立中高一貫女子校→東大東大大学院→ポスドク→一部上場品メーカー。 自分なりの悩みや紆余曲折はあったものの、世間的には「順調」な人生を送ってきたといえます。 だからこそ、というべきか、私はずっと、単純な「努力教」信者でした。 自分を支え、導いてくれた人たち(親、友人、先生方など)に感謝の気持ちはもっていたものの、はたしてそれが十分であったかどうか。 たまたまそういった人たちがそばにいて、好意を寄せてもらえたということ、多くのチャンスに恵まれたということを、自分にそれだけの価値があっ

    All_Mine
    All_Mine 2009/07/16
    とても誠実な文章・主張。/男は自身のジェンダー性についてどのように語ることができるかゆっくり考えていきたい。
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