[読書] 上野千鶴子『女ぎらい――ニッポンのミソジニー』(紀伊国屋書店刊、10月16日) 久しぶりの、著者の本格的なジェンダー論。興味深い内容なので、一部を紹介してみたい。まずは、「女ぎらい=ミソジニー」というタイトルの意味である。通常、「ミソジニー」は「女性嫌悪」と訳される。ハムレットの科白やボードレールなど、「ミソジニー」を表明した西洋の男性は多い。だが著者は、「ミソジニーの男には、女好きが多い」と言う(p7)。奇妙な逆説のように見えるが、そうではないのだ。著者によれば、きわめて包括的な「女性蔑視」「女性軽視」が、「ミソジニー」の本質である。というのも、「いい女や美しい女をものにした男」は、何よりも男の集団の中で高い評価を得るからであり、女はもともと、男たちが評価を競う「獲物」や「客体」であって、「主体」にはなれない低い位置にあったからだ。レヴィ=ストロースによれば、未開社会では、娘は