僕が差別と戦って、それで暴力が無くなりますか? この世にはクズがいます。クズはどうしたってクズです。僕がいくら自己批判と反省と真剣な思考と不断の実践にリソースを注ぎ込もうが、クズはクズのまま在り続け、クズとして暴力を振るい続けます。だからこそ暴力装置が要請される。国家は言います。「君はクズのまま生きてもよい。ただし、ここに示したラインを踏み越えた場合にはペナルティを与える」。これが思想・良心の自由であり、罪刑法定主義です。実に最高です。足を向けては寝られません。 クズはどうしたってクズで、暴力をふるい続けるのでしょうか? 例をひとつ挙げてみたいと思います。 関東大震災と阪神淡路大震災です。 1923年の関東大震災では、朝鮮人などの虐殺が起こりました。 1995年の阪神淡路大震災では、虐殺が起こらないどころか、日本人も外国人も助け合いました。 神戸に住んでいる知人の中国人は、地震が起こったと