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大岡越前に関するAndy018Wozのブックマーク (2)

  • 赤坂豊川稲荷東京別院 - 夫婦写真散歩のススメ

    東京坂道散歩(赤坂編) 前回ご紹介した、半蔵門から赤坂見附に続き、東京の坂道を歩く夫婦写真散歩。今回は赤坂です。 赤坂といえば、高級料亭、クラブが立ち並び、明治以降華やかな花柳界が形成され、政治家、芸能人御用達、また外国人の多い街というイメージがいまだに強く残っています。とはいえ平成の世になって加速する東京の新陳代謝はさらに勢いを増し、常に工事車両と出会う印象があるこの街赤坂は、急スピードで様変わりをしてきています。 一言でいえば、高級料亭の激減、カジュアルなお店が増え、ライブハウス、居酒屋チェーン、ファストフード、若者が増えた、歩いているとそんな気がします。20年ほど前、勤務地が赤坂であったこともあり、この街をよく歩き、見続けていますが、確実に変化しています。 赤坂見附交差点周辺 さて風薫る五月、GWに赤坂見附を歩き、赤坂見附交差点に到着したわが夫婦。 旧赤坂プリンスホテル解体前の威容

    赤坂豊川稲荷東京別院 - 夫婦写真散歩のススメ
  • 葛西神社と業平山南蔵院(しばられ地蔵) - 夫婦写真散歩のススメ

    「葛飾」の歴史をさかのぼると、正倉院文書にもその地名が書き記されているように奈良時代、律令制国家建設のなかで令制国として広大な領地を有する大国と定められた下総国にその起源はあります。 そして下総国の国府、中心地は葛飾郡でした。 以前市川真間の手児奈伝説を紹介したときに詳述しましたが、葛飾郡は南は江東区(亀戸、大島、北砂、南砂、東砂)から北は茨城県古河市にいたる広い領域にわたります。 中世では現在の江戸川をはさんで東側を葛東、西側を葛西と呼ぶ慣習も生まれます。 現在の行政区分でいうと東京都葛飾区と江戸川区の全域、墨田区、江東区の一部がそれにあたり、葛飾郡一帯が「葛西」に一致する事になりました。 源頼朝=鎌倉殿の御家人となり、奥州藤原氏との戦いで武功を挙げた葛西三郎清重の居館、葛西城も江戸川の西側にあったと推測されています。 また江戸時代に始まった利根川の東遷事業によって明治時代後期まで長い時

    葛西神社と業平山南蔵院(しばられ地蔵) - 夫婦写真散歩のススメ
    Andy018Woz
    Andy018Woz 2019/07/05
    大岡裁きのエピソード、何度かTBSで見た記憶があります。加藤剛さんや竹脇無我さんはほんとうに美しい名優でしたね。所作も言葉遣いも立ち居振る舞いも全てが美しい。
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