志布志事件で無罪が確定した元被告や遺族が損害賠償を求めた訴訟の判決後、「勝訴」の垂れ幕を掲げる支援者=15日午前、鹿児島地裁前 2003年の鹿児島県議選をめぐる選挙違反冤罪事件(志布志事件)で、無罪が確定した元被告と遺族ら計17人が、国と県に計約2億8千万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、鹿児島地裁(吉村真幸裁判長)は15日、「虚偽の自白をつくり出した警察の捜査には違法があった。検察にも注意義務違反があった」として、国と県に計約6千万円(元被告1人あたり460万円)の賠償を命じた。 03年4月の県議選に当選した中山信一元県議らは選挙運動の中で現金の授受があったとして公選法違反罪で13人が起訴されたが、公判中に1人が死亡し、07年に12人全員が無罪判決を受け、確定した。
市推計は14万人だけど… 人の命は地球よりも重いって言うよね。大事な質問だ。調べるため、まず広島市中区の原爆資料館に行ってみた。 展示パネルでは、1945年12月末までの原爆による推定(すいてい)死亡者数を「約14万人(誤差±1万人)」と紹介している。つまり13万から15万人の間ということ。2万人もの命がはっきりしないことになる。何でそんなことになるんだろう。不思議(ふしぎ)だよね。 この根拠について、市原爆被害対策部は「76年に、市が国連事務総長(じむそうちょう)に核兵器廃絶(はいぜつ)などの実現を目指すよう要請(ようせい)したときに、専門家を集めて調査研究した結果の数字」と説明する。 ■「20万人以上」も 最近の高校の教科書を調べてみると、この数字を根拠としたと思われる「原子爆弾による1945(昭和20)年12月までの死者は、広島で約14万人」という記述や、「被爆直後から5年間に、広島
見つからない特定方法 前回、原爆死没者数について、なぜ、はっきりした数が分からないのだろうと、いろいろな数字を紹介したね。 「宿題」だった、市の推計「約14万人(誤差プラスマイナス1万人)」の根拠について、市国際平和推進部平和推進担当の手島信行課長から回答があった。結局、どういう数が重なったのかは市の資料では分からないらしい。「専門家による委員会に資料作成を任せた」からだという。 ただヒントはくれた。 ■新聞寄稿で説明 1976年12月10日、13日付の中国新聞だ。市の発表から約2カ月後、推計に携わった故湯崎稔広島大教授(当時同大原爆放射能医学研究所助教授)が2回にわたり寄稿している。 44年2月の広島市の人口を参考にした推計と、被爆後約3カ月がたった45年11月の広島市と周辺町村の人口を比較し、軍の被害報告資料や県外からの来広者、朝鮮人被爆死亡者などを考慮した、と一定の根拠を説明している
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