京都通り名の基本 「B通A東入ル」 建物(玄関)面している通り名が先(B)で、近くの交差点の通り(A)を基点に、 どちらに行けば目的地があるかの方角を、上ル(北)下ル(南)東入ル、西入ルと表す。アガル、サガル、ヒガシイル、ニシイル、と読む。 京都の通り名表記は動きを基にした一種のナビゲーションであって、「そのとおりに動けばとおりのどちら側かに見つかる」というもので、一点を表すものではありません。 ある程度の範囲は特定できますが、厳密な位置の指定は不可能です。 「ジオどす」では、通り上で、基点から次の交差点までの中間地点を便宜的に返すようにしています。薄い赤色のエリアは場所の予想範囲で、おそらくこの範囲内にあるというものです。ジオどすでは予想範囲も返すようにしています。 京都市内聞き込み調査結果 調査や聞き込みの結果、以下のことが分かりました。 ・通りのどちら側に目的地があるかは判定できない
歴史 京都の重森三玲旧宅(旧社家)は、吉田神社(*)の名高い神官の邸宅であったものを、昭和18年(1943)に東福寺方丈庭園などの作庭で知られる庭園家の重森三玲が譲り受けた。主屋(**)が享保期頃(1716-35)、書院が寛政元年(1789)と伝えられる江戸期の建物で、これは近衛家の援助によって建立されたものと伝えられる。現在の重森三玲旧宅は、これら江戸期の建造物のほか、重森三玲が新たに自ら設計して建てさせた、二つの茶席(無字庵 昭和28年・非公開、好刻庵 昭和44年)と、自作の書院前庭や茶庭、坪庭がつくられている新旧融合の特殊な場所である。重森三玲旧宅は現在、吉田神社界隈で、格式ある社家建築の趣をつたえる、ほぼ唯一の遺構であり、その文化財的価値は貴重なものである(書院、茶室・無字庵は国の登録文化財)。 書院前の庭(現重森三玲庭園美術館庭園、1970年作)は、中央に蓬莱島、東西に方丈、瀛州
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